★ミーとケイのオリジナル・アルバム第2弾‼︎
★お茶の間で踊って楽しめる曲がいっぱいです‼︎
(LPレコード帯のコピー)

ピンク・レディーのアルバム12作品が、主要な音楽配信サービスでハイレゾ音源も含めて配信されている。これまでリリース順に6つの作品について書いてきたが、今回から7作目にあたる「星から来た二人」を取り上げたい。

このアルバムタイトルだが、実はジャケットには次のように記されている。

ピンク・レディーの星から来た二人

また、発売元のビクター・エンターテインメントの公式サイトでは、鍵カッコつきで、

ピンク・レディーの「星から来た二人」

と表記されており、オリジナルのLPレコードのラベルにもそのように印刷されている。おそらくこれがアルバムの正式なタイトルなのだろう。

ただ、音楽配信サービスも含め、一般的には「ピンク・レディーの」を省略することが多いため、この記事でも「星から来た二人」に統一する。


<基本情報>

タイトル:星から来た二人

発売日:1978(昭和53)年11月5日

形式:スタジオアルバム

曲数:8曲(メドレーは1曲とする)

 

<ポイント>

①テレビテーマ曲とCMソングだけの異色の作品

②宇宙人の目を得た阿久悠ワールド独特の展開

③遊び心満載!セルフパロディの面白さ


“テレビの申し子”ならではの異例のアルバム


1970年代はアナログの時代だった。ネット配信どころかCDさえなく、アルバムはLPレコードとカセットテープでリリースされることが多かった。ピンク・レディーも例外ではない。


LPレコードとカセットテープでは大きさも形状も異なるため、ジャケットのデザインが大なり小なり違ってくるようだ。「星から来た二人」の場合、両方を比べるとメインビジュアルであるミーちゃんケイちゃんの写真のポーズが違っている。さらにカセットテープのジャケットの上部には「テレビテーマ・CMソング集」と記されている。この文言こそが、この異色のアルバムの最大の特徴を端的にわかりやすく伝えている。


冒頭に引用したコピーで「オリジナル・アルバム第2弾」となっているのは、ライブ盤でもベスト盤でもなく、新たにスタジオで録音したアルバムとしては、ファーストアルバム「ペッパー警部」に続いて、これが「第2弾」という意味である。


これまでも書いてきたように、新人時代から日々超過密スケジュールに追われていたピンク・レディーは、アルバムのレコーディングのためにまとまった時間を確保することが難しかった。そのため彼女たちのアルバムは2作目の「チャレンジ・コンサート」から5作品続けて、コンサートの生演奏を収録したライブアルバムとなった。


本作は待望の(?)スタジオアルバムではあったが、だからと言って、まとまったレコーディングの時間が取れた訳ではない。時代の寵児ピンク・レディーの超多忙ぶりは78年の後半においても変わらないどころか、さらにエスカレートしていた感さえある。中でもテレビでは、彼女たちの姿を見ない日はなかったのではないか。


この年の秋、9枚目のシングル「透明人間」をリリースして間もない頃、スポーツニッポン(9月15日付)は、新番組「走れ!ピンク・レディー」(テレビ朝日)の制作発表を報じている。記事では、10月からピンク・レディーのレギュラー番組は6つになると伝えている。


即ち①「走れ…」の他に、②「レッツゴーヤング」(NHK)、③「ピンク百発百中!」(日本テレビ)、④「飛べ!孫悟空」(TBS)、⑤「ピンク・レディー物語 栄光の天使たち」(東京12チャンネル=現・テレビ東京)、⑥「ヤンヤン歌うスタジオ」(同)の6番組である。(この内⑤はアニメだが、実写パートもあったという。ちなみに当時中学生だった僕自身は、民放の少ない地方に住んでいたこともあり、上の6番組でリアルタイムで見ていた記憶があるのは②と④だけである。)


もちろんこれ以外にも、当時各局がこぞって力を入れていた歌番組には引っ張り凧だったし、様々な番組へのゲスト出演も少なくなかった。所属事務所T&Cのトップだった貫泰夫氏によれば、年間のテレビ出演の回数は77年に303回、78年に300回を数えたという。またコマーシャルに関しても10数社のCMに出演し、多くは自分たちでCMソングを歌っていた。


レコード会社ビクターの担当ディレクター、飯田久彦氏としては、こうした状況を逆手に取るしかなかったのだろう。まとまったレコーディングの時間が取れない代わりに、彼女たちが歌った番組テーマ曲やCMソングをかき集めて構成したのが、この「星から来た二人」である。既にある音源をそのまま収録するだけでなく、アルバムタイトルとなった「星から来た二人」などは、新たにレコーディングしたと考えられる。)


苦肉の策とも取れる異例の企画だが、CMメドレーを除き、テレビ番組用に書かれたテーマ曲は全て阿久悠氏・都倉俊一氏の黄金コンビが手がけている。これらの楽曲でアルバムを作れば、ピンク・レディー同様に超多忙だった両氏にアルバム用のオリジナル曲を一から書き下ろしてもらわなくても済むことになる。


全8曲、トータル演奏時間30分30秒。アルバムとしては少し短めだが、それでも自分たちが出演するテレビ番組のテーマ曲とCMソングだけでアルバムを成立させることが出来たのは、後にも先にもピンク・レディーだけだろう。しかもこの時、デビューからわずか2年余りだったことに、改めて驚かざるを得ない。


デビューといえば、そもそもミーちゃんケイちゃんのコンビがプロ歌手になったきっかけが、テレビのオーディション番組「スター誕生!」であった。テレビこそがピンク・レディーを生み、あっという間にお茶の間の人気者に育て上げたのである。今と違って、当時はテレビが娯楽の王様だった。「星から来た二人」は、まさに“テレビの申し子”ピンク・レディーとその時代を象徴するアルバムなのである。


鬼才・阿久悠による“宇宙人ソング”の発展形


ピンク・レディーの最大のヒット曲と言えば、前年77年12月にリリースされた「UFO」である。宇宙人(と思われる人物)との恋愛を題材とした前代未聞の歌詞が世間を驚かせたがアメリカで映画「未知との遭遇」(77年11月公開)が大ヒットして話題になる前から、作詞の阿久悠氏はこのアイデアを温めていたようだ。折からの宇宙ブームも手伝って「UFO」は会心の大ヒット、阿久氏は大きな手応えを感じたに違いない。


シルバーのスパンコールで覆った宇宙人風のコスチュームに身を包み、独特の振り付けで「UFO」を歌うミーちゃんケイちゃんの姿は、阿久氏にはまさに「星から来た二人」に見えていたのではないか。


考えてみれば、デビューの時はさして期待されていなかった、どこにでもいそうな女の子2人組が、予想に反してヒット曲を連発し、あっという間に国民的アイドルになったこと自体、奇跡に思える。超人的なスケジュールをこなし、毎日ブラウン管に現れては笑顔で溌剌と歌い踊り、どんな大舞台も物怖じせずに堂々と務める。日本中の子どもたちが夢中で彼女たちの真似をする。そんな芸当が可能なのは、実は彼女たちが「星から来た二人」だから。そう、2人の正体ははるか宇宙の彼方から地球のお茶の間へやってきた宇宙人なのである…


こんな妄想を膨らませることで、阿久氏はますます創作意欲を掻き立てられ、「UFO」の発展形ともいうべき“宇宙人ソング”をさらに生み出していった…というのはあくまでも想像だが、アルバム「星から来た二人」には現にそうした楽曲がいくつか収録されている。個々の楽曲についての詳細は次回以降に譲るが、どこが発展形なのか、少しだけ歌詞を引用する。


♪私は千の顔の 奇跡を持った女

 宇宙の闇を越えて あなたのそばへ

 (中略)

 地球ばかりが楽しい星ではないわ

 この私を信じなさい 奇跡をどうぞ

 (「千の顔を持つ女」より)


♪オオ諸君 地球の諸君

 隅から隅までおめでとう

 いよいよ諸君も

 宇宙の仲間に認められました

 (「2001年愛の詩」より)


「UFO」では不思議な能力を持つ「あなた」を(はっきりと書かれていないが)宇宙人ではないかと疑っている「私」は、当然地球人だった。ところが、アルバムの収録曲「千の顔を持つ女」や「2001年愛の詩」では、視点が向こう側に行ってこちら向きに反転している。つまり宇宙人の目線で地球人に向かって歌うという、“コペルニクス的転回”がなされているのだ。まさに鬼才・阿久悠氏ならではの大胆で非凡な発想である。


もちろんそれまでもSFや特撮映画の中で、宇宙人が「我々はバルタン星人だ。地球は我々がもらう!」みたいなセリフを放つことはあったが、阿久悠ワールドは、そうした安っぽいSF的な設定に留まらず、宇宙人の目線で「愛」や「恋」に対する固定観念を一気に相対化し、アッと目から鱗が落ちるような感覚をもたらす。


今なら例えば、2006年に始まった缶コーヒーBOSSのCMシリーズが、阿久氏の発想と近いかもしれない。「宇宙人ジョーンズ」が地球のあらゆる日常の場に潜入して「この惑星の住人は…」と呟くあのCMである。阿久氏は宇宙人ジョーンズより30年近くも前に、宇宙人の目を自身のものとし、「星から来た二人」ピンク・レディーを通して、表現していたのである。


ピンク・レディーとパロディ精神


ピンク・レディーがデビューする直前、75年と76年に流行したヒット曲を改めて見てみると、物悲しい、淋しい、暗い歌が意外に多かったことに驚く。


特に75年のオリコン年間ランキングでは、1位「昭和枯れすすき」2位「シクラメンのかほり」3位「想い出まくら」とトップ3が悲しい曲で占められている。76年の1位「およげ!たいやきくん」にしても、子ども向けでありながらメロディーは哀愁が漂い、最後はたいやきくんが釣られて食べられるという悲しい結末の歌だ。当時は、毎日毎日鉄板で焼かれるたいやきくんのように会社勤めに明け暮れるサラリーマンたちの共感を集めたという。


悲しい歌、暗い歌が悪い訳ではなく、むしろ当時はそれが流行歌の王道であり、世の中のニーズに合っていたからこそヒットしたのである。しかしテレビやラジオから悲しい歌ばかりが立て続けに流れてくれば、やはり重苦しいものがある。そんな空気をガラッと一変させたのが、ピンク・レディーの登場だったとも言えるだろう。重苦しさ、深刻さとは対極の、カラッとした明るさ、一緒に踊りたくなる楽しさが、世代を超えた多くの人たちの心を捉えた。


ピンク・レディーの魅力は一言では言えないが、ミーちゃんケイちゃんのキュートで溌剌としたキャラクターや思い切りの良いパフォーマンスに加えて、どの楽曲からも作り手たちの遊び心、自分たちも心から楽しんでいる感じが伝わってくる。


作詞を手がけた阿久悠氏は「ペッパー警部」から「ウォンテッド(指名手配)」までの初期のヒット曲について、特長的なことは、根底にパロディ精神があるということである」と後に書いている。


例えば「ペッパー警部」は<♪もしもしベンチでささやくお二人さん>と歌う1956年のヒット曲「若いお巡りさん」が元ネタの一つとなり、「ウォンテッド」では戦後ヒットした映画「七つの顔を持つ男」シリーズの探偵・多羅尾伴内のセリフ「ある時は…」をもじった。


作り手が、パロディ精神で大いに楽しんでいたというのが、ピンク・レディー作品の第一期である。わからなくても面白い、わかる人にはもっと面白い、とひそかに北叟笑みながら、しかし、懸命に知恵を絞っていたのである。

(阿久悠「夢を食った男たち」より)


ところがピンク・レディーが瞬く間に人気者となり、ブームが社会現象と言われるまでになるに至って、阿久氏は考え方を変え、「UFO」以降のシングル曲ではパロディ精神を控えたという。


ぼくは、パロディを軽く見ているわけではないが、やはり、からかったり、皮肉ったりするオリジナルがあって成立するものである。ピンク・レディーもここまでモンスター化してしまうと、むしろ、からかわれたり、皮肉られたりする、パロディの原版のほうの立場になるべきだと思っていたのである。そろそろ只事ではなくなり始めていた。

(同上)


こう書いている阿久氏だが、そのパロディ精神を抑えておくことはできなかった。今度は形を変えて、自分たちが作り上げてきたピンク・レディーの世界を、なんと自らパロディ化し、彼女たちに歌わせるという「セルフパロディ」を試みたのだ。


それがアルバムの1曲目、<♪拝啓ペッパー警部殿>という歌詞で始まる「百発百中」である。歌詞の中に「モンスター」までのピンク・レディーのヒット曲のタイトルが全て織り込まれ、とても楽しい曲に仕上がっている。


そして実はセルフパロディの手法を取り入れているのは、阿久悠氏だけではない。「コマーシャル・ソング・メドレー」を構成するCMソングは全て都倉俊一氏が作曲しているが、そのメロディもあえてピンク・レディーのヒット曲に似せて作られているものが少なくない。(CMソングについては、以前の記事で書いているので、関心のある方はご参照ください。)



テレビ、宇宙人、パロディ。以上3つのキーワードからアルバム「星から来た二人」の特徴について考えてみた。次回以降、個々の楽曲について書いていく。(続く)