ピンク・レディーが人気絶頂を極めた1978年の夏、後楽園球場で行った野外コンサートの模様を収録したライブアルバム「’78ジャンピング・サマー・カーニバル」。今回から曲目ごとに書いていく。
 
その前に、改めて申し上げておくと、ピンク・レディーのお馴染みのヒット曲をいっぱい聴きたいという方は、彼女たちのライブアルバムの構成に最初は戸惑うかもしれない。どのアルバムも半分以上は、洋楽のカバー曲で占められているからだ。
 
この「’78ジャンピング・サマー・カーニバル」は、中でもカバーの比率が高く、オリジナル曲は後半に4曲収録されているだけである。(この時点でピンク・レディーは8曲のシングルをリリースしており、実際のコンサートでは一応全ての曲を披露しているのだが…)また、オープニングではバックバンドによるインスト曲がやたらと長く続き、なかなか彼女たちの歌が始まらないことに、やきもきする方もいらっしゃるに違いない。
 
この記事では、音源だけではわかりにくいスタジアムライブならではの状況にもふれつつ、楽曲ごとに情報の整理と考察を行うことで、阿久悠・都倉俊一両氏が手がけた一連のヒット曲だけでは語り尽くせない、ステージシンガーとしてのピンク・レディーの魅力を少しでもお伝えできればと考えている。
 
なお、画像は全て「Singles Premium」DVDに収録されたコンサート映像から引用させていただく。
 
(ヘリコプターから撮影した後楽園球場。中央がステージ。下半分、グラウンドの外野側がアリーナ席。その下側、スタンドとの境目を縁取る白い部分は、オープニングで2人を乗せたオープンカーを走らせた架設道路で、フェンスの高さに合わせて設置されている)
 
1:オープニング
a)ハリケーン
b)ソウル・トレイン
c)忘れたいのに
d)ラヴィン・ユー・イズ・キリン・ミー
 
何かの始まりを予感させるシンセサイザーによる電子音。そこに夏の夜の空気をつんざくようなトランペットの高音が響き、この日のために編成されたスペシャルバンド(稲垣次郎とソウル・メディア、チャック・レイニー・リズム・セクション)によるオープニングメドレーの演奏が始まる。
 
a)は今回もコンサートの編曲を手がけた前田憲男氏が、自ら作曲したオリジナルのインスト曲である。タイトルの「ハリケーン」は、この年の春にヒットした「サウスポー」の歌詞に出てくる魔球に因んだものか。まさにピンク・レディーと後楽園球場にふさわしいネーミングだろう。
 
この演奏の間に、一塁側ダッグアウトから登場した2人は、2台のオープンカー(BMWカブリオレ)に分乗し場内を周回する。前を行くシルバーの車にミーちゃん、後ろのゴールドの車にケイちゃん。超満員の観衆に手を振りながら、球場のフェンスに沿って作られた架設道路を反時計回りに進む。ミーちゃんがブルー、ケイちゃんがピンク、お姫様風?の衣装に身を包んでいる。ケイちゃんは珍しくポニーテール。両手を上げ、リズムに合わせてノリノリで上半身を弾ませ、歓声に応えている。
 
 
 

アルバムの音源では、開始から2分20秒で女性コーラスが入り、曲がb)に変わる。70年代にソウル系アーティストのライブ演奏とダンスコーナーで人気を集めたアメリカの音楽番組「ソウル・トレイン」のテーマ曲<TSOP(The Sound of Philadelphia)>である。
 
フィラデルフィア・ソウルを支えたミュージシャン集団MFSBがスリー・ディグリーズ(The Three Degrees)をボーカルに迎え、74年にリリース、ヒットさせた。日本盤のタイトルは「ソウル・トレインのテーマ」。<♪ソウル・トレ〜ン、ソウル・トレ〜ン>という冒頭のフレーズがお馴染みだが、なぜかここでは女性コーラスが<♪ラ〜ラ〜、ラ〜ラ〜>と歌っている。
 
当時、番組は日本でも放送されていた。ミーちゃん(未唯Mieさん)は、デビュー前に「ペッパー警部」を初めて聴いた時のこととして、後年次のように回想している。
 
当時『ソウルトレイン』っていう番組が放送されていたんですが、私はその番組が大好きで、ブラックテイストで歌って踊りたかった私達には、まさに理想通りでしたね。
(2006年「Platinum Box」ブックレット)
 
ミーちゃんケイちゃんとも、高校まで過ごした静岡ではディスコに行ったことはなかった。上京してからダンスの勉強になるからと、土居甫氏に連れて行ってもらったという。恐らく2人にとって「ソウル・トレイン」は、デビューに向けて土居センセイから厳しいレッスンを受けていた頃に、親しんでいた曲だったのではないだろうか。
 
 
a)とb)、2つのインスト曲が演奏される間、2人を乗せたオープンカーは球場のライト側からレフト方向へ移動し、三塁側スタンドの前あたりまで進む。開始から3分57秒で、曲はc)に。ここでようやく彼女たちの歌声が会場に流れる。ピンク・レディーのコンサートでは定番の「忘れたいのに」を2人が英語で歌い始めた。(楽曲についての説明は、以前の記事に書いたので、参照していただければと思う。)
 

 

 


映像を改めて見ると、2人を乗せたオープンカーは三塁側からバックネット前を経由して一塁側までゆっくりと移動し、ステージから伸びる花道の近くで停車する。ここで2人は車から飛び降りて(!)、ケイちゃんがミーちゃんの腰に手を当て寄り添いながら階段を上がる。そしてそれぞれ片手を大きく振りつつ、花道を飛び跳ねるように走って、中央のステージへ向かうのだ。
 
これだけの距離を車も使って移動しながら、2人はワイヤレスマイクで「忘れたいのに」を歌っているのである。しかもハーモニーも含めて、アルバムに収録された歌声は非常に安定している。とても人間業とは思えない…あれ、ちょっと待てよ?
 
通常、大きな会場でコンサートを行う際は、演奏の生音が反響して歌のタイミングがズレるのを避けるため、ボーカルの前にウエッジモニター(コロガシ、返しともいう)を置き、その音を頼りに歌う。
 
ところが会場の中を車で移動しながらとなれば、今ならワイヤレスのイヤーモニター(耳に装着するイヤホン状の小型モニター。85年にスティービー・ワンダーのためにイギリスのエンジニアが開発したとされる)という便利なものがあるのだが、日本ではコンサートで広く使われるようになったのは2000年代以降で、この時代にはまだ存在しなかった。
 
ワイヤレスマイクの方も、都心の球場のような開放空間ではノイズを拾いやすく、安定的なシステムが当時組めたのかどうか疑問である。
 
いろいろ考えると、どうやらこの時の「忘れたいのに」は「口パク」である可能性が高いと言わざるを得ない。もちろん今のアイドルグループとは違って、ピンク・レディーは基本的に「口パク」無しである。(というか、当時の歌手は生バンドの演奏で歌うため、それが当たり前であった。)
 
ケイちゃん(増田惠子さん)は糸井重里氏との対談(2011年)でこう語っている。
 
クチパクでは歌えないですよ。
そんなことしたら、
振りがわからなくなってしまいます。
歌詞と振りがセットになってるので、
ほんとうに歌わないと、間違います。
 
だが、この時ばかりは例外だったようだ。PLプロジェクトとしては、ファンに楽しんでもらうため、後楽園球場という大会場ならではの特別な演出を考え、実現しようとした。だが、いくらミーちゃんケイちゃんでも、歌いながらの大移動は物理的、技術的にも不可能で、「口パク」の採用はやむを得なかったのである。恐らくリハーサルの時に2人のボーカル込みの演奏をテープに収録しておいて、それを本番で再生したと思われる。
 
映像をよく見ると、前の車に乗ったミーちゃんは最初からずっと小さいワイヤレスマイクを手に持っていて、「忘れたいのに」に入るタイミングでスムーズに歌い出している。
 
だが同じ映像の後ろに映っているケイちゃんの方は、歌い出しの時点ではまだファンに一所懸命手を振っていて、ちょっと遅れてマイクを手にしているのだ。音の方はしっかりケイちゃんの声も聴こえているので、やはり「口パク」の可能性は高いだろう。(正確に言えば、2人はテープの音に合わせて歌ってはいるが、マイクはオフになっている)
 
繰り返しになるが、これはあくまでも演出上の必要があってのことであり、そもそも歌がイマイチなので「口パク」で許してください、なんてことが当然のようにまかり通るのは、堕落以外の何物でもないと、昭和生まれのおじさんは考える。
 
もう一つ付け加えると、ミーちゃんケイちゃんはこのコンサートのエンディングで、同じ「忘れたいのに」を、今度は日本語でしっかり心を込めてナマで歌っている。埋め合わせという訳ではないが、そういうことで2人も納得できたのではないか。
 

さて、この「オープニング」のトラックは、9分13秒あるのだが、5分36秒から始まるd)が、彼女たちがこのステージ上で披露する最初の1曲である。オリジナルはニューヨークで結成された男性4人組のボーカルユニット、モーメント・オブ・トゥルース(Moment Of Truth)が77年にリリースした<Lovin’ You Is Killing Me>。「恋は悩殺」という邦題で日本盤も発売されている。
 
歌って踊るのには打ってつけの典型的なディスコナンバーだが、ネット上の情報は案外少ない。知る人ぞ知る、という感じで、オリジナルはそれほどヒットしなかったようだ。モーメント・オブ・トゥルース自体が、グループと同名のアルバムを1枚リリースし、その収録曲をいくつかシングルカットしたのみで終わっている。
 
子どもの観客も多いピンク・レディー。コンサートで洋楽をカバーする際、普通なら多くの人に馴染みのあるヒット曲を選ぶのが定石だと思うが、たまにその逆を行くマニアックな選曲が行われるケースがある。PLプロジェクトの中心人物、相馬一比古氏がかなり洋楽に精通していたことが大きいと思われるが、そのことによってピンク・レディーの可能性を広げ、魅力を引き出そうとしていた面もあるのだろう。
 
ステージの実質的な1曲目に据えただけあって、この時のミーちゃんケイちゃんの「ラヴィン・ユー・キリン・ミー」は実に素晴らしい。映像を見ると、前の曲の後半でステージに向かって走り込んでくる時は、どこにでもいるあどけない少女のようだった2人が、曲が切り替わると、足並みを揃えて、思い切りよく大きくステップを踏み出す。その瞬間、プロのエンターテイナー、ピンク・レディーに変身するのだ。思わず鳥肌が立つ。
 
そして巨大な後楽園のど真ん中に、たった2人だけで出て行って、広いステージを前後左右に移動しながら歌い踊る。(ここからマイクは有線になる。)土居甫氏の振り付けはシンプルだが、むしろ2人の息のあった動き、キレの良さが強調され、とてもクールなパフォーマンスに仕上がっている。
 
愛することの辛さ、苦しさを歌う、少し大人の雰囲気が漂う曲。英語で歌っているが、2人ともレッスンでかなり歌い込んだようで、アップテンポでも歯切れよく、気持ちよく聴ける。声もよく伸びている。オリジナルは男性ボーカルだが、女性デュオらしい華やかさが、曲をいっそう魅力的にしている。バックの女性コーラス(伊集加代子さん、尾形道子さん、槇みちるさん。「木曜スペシャル」では「シンガーズ・スリー」とクレジットされている)との掛け合いも鮮やかで、特にケイちゃんの力強い低音が効いている。
 
2:ハロー・ミスター・モンキー
 
続いては同じディスコナンバーでも、あの時代のディスコブームを知る世代にはお馴染みのヒット曲。西ドイツで結成された女性3人組アラベスク(Arabesque)が77年にリリースした<Hello Mr.Monkey>である。
 
日本ではビクターが発売を手がけ、ちょうどこの78年の夏に大ヒット。オリコン週間チャートで洋楽ながら最高位8位(8月21日付。同じ週の1位は「モンスター」だった)を記録している。やはり同じビクターのピンク・レディーがコンサートでカバーした効果は少なくなかっただろう。ちなみにアラベスクは本国のドイツではあまり売れず、日本と東欧、旧ソ連でのみ成功したという。
 
前の「ラヴィン・ユー・キリン・ミー」はミーちゃんケイちゃん2人だけだったが、この曲では男性6人、女性7人のダンサー(「木曜スペシャル」のクレジットは「サマー・カーニバル・ダンサーズ」。プログラムでは「ポピーズ・シャルマン」となっている)が登場。タンクトップに短パン姿で、賑やかに踊りまくる。さしずめステージが即席のディスコに早変わり、といったところ。
 
ミーちゃんケイちゃんも、上半身をクネクネさせるユーモラスな振り付けを交えつつ、楽しそうに英語で歌い踊っている。オープニングからここまで、オリジナル曲は披露していないにもかかわらず、超満員の観衆は早くもヒートアップしている様子だ。
 
なお、この時の「ハロー・ミスター・モンキー」の音源は、翌79年にリリースされた12枚目のシングル「ピンク・タイフーン」のB面にも収録された。(続く)