第4回河合隼雄ブッククラブのレポートです。

 

今回の課題図書は、「母性社会日本の病理」

 

 

 

 

「母性原理はその肯定的な面においては、産み育てるものであり、否定的には、呑み込み、しがみつき、死にいたらしめる面をもっている。

 

これに対して、父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。

 

それはすべてのものを切断し分割する。

 

主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、子供をその能力や個性に応じて類別する

という風にざっくり分け、日本を母性原理に基づいた、成員をすべて平等に扱う母性社会、それに対して欧米のキリスト教をバックボーンにした文化を父性社会としてその対比をしながら日本文化論を展開していくのですが…。

 

正直、この本は今まで読んだ河合先生の本の中で、一番響かない本でした滝汗

 

出版が1972年と、半世紀前。

 

河合先生の本は、40年前のものでもそれほど古さを感じたことがなかったのですが、この本は思いっきり古さを感じました。

 

今ドイツに住んでいるせいか、父性社会の典型として述べられているスイス・ドイツ社会の記載が、

 

「いやー、昔はそうだったかもしれないけど、今は結構違うよ??」

 

と違和感を感じてしまうことが多く…。

 

ヨーロッパは、1968年ぐらいの学生運動を機に、社会の価値観がどんどん変わり、また移民を積極的に受け入れてきたこともあって、この本が書かれた50年前と比べると、社会がとても変化しています。

 

それに比べて、日本社会の方は変化が少ないので、日本社会への記述に注目して読めば、そこまで違和感は感じないかもしれません。

 

他の方は、「今自分が直面している問題に直接関連していて、すごく興味深かった」とおっしゃっていたので、私が日本社会から離れすぎて、「日本社会」として述べられているものへの実感がなくなっているせいもあるかもしれません。

 

それでも、日本も今では能力主義を取り入れている会社も多いし、昔のような皆が一丸となって、グループの成員はみな平等として進んでいくような組織は少なくなっているので、日本社会についての描写も少しやはり時代を感じると言わざるを得ません。

 

 

あと、私の「自分の中に深く進んでいく」フェーズがそろそろ終わりなようで、無意識の領域の話が、前のように響いてこないんですよね…。

 

あんまり無意識の世界のことばっかり考えているのも不健全な気がするので、それでいいのかな…。

 

ビシビシに響いてきていた本が響かなくなってしまうのは寂しいけど、

 

今は、次のステップに向かう時期なのかもしれません。

 

と、そんな文を書きながら本を見直したら、そんな気持ちにドンピシャリのフレーズが見つかりました

 

 

結論として述べたいことは、(中略)昼と夜があって、一日があるということである。とはいっても、昼の方が長い日もあるし、夜の方が長い日もある。それに、昼でも暗い日もあるし、夜でも満月が照らす時もある。

 

しかし、これらを長い目で見るときには、大体において、明るい時と暗い時は平均して等しいのではないだろうか。

 

人間は常に自然に挑戦して生きているのではあるが、あまりにも昼の時間を拡大することに固執しすぎて、深い安らかな憩いを与えてくれる夜の時間を削りすぎていないだろうか。夜のもたらすエネルギーの流れを止めようとしていなだろうか。

 

あるいは、このような働きの反動として、あまりにも夜の深さに沈み、溺れこんでしまっていないだろうか。暗黒のなかでこそ、貴重な真理の反面を覗くことが出来るのであるが、亀姫に心を奪われた浦島のように、帰るところを失ってしまってはいないだろうか。

 

われわれは自然に挑戦し続けながらも、昼と夜の配分を忘れない自然の知恵に対して、耳を傾けてゆく努力を続けることも忘れないでいたいものだ。(p.202-203) 

 

今私は、夜から昼に移行している最中なのかもしれません。

 

またしばらくしたら響くようになるかもしれないので、その時はもう一度読み返してみます。

 

ブッククラブ主催者なのに、こんなに響かなくてどうしよう…、と焦っていたのですが、他の参加者の方には響いていたようでよかった…。