おそらく最も正しい訳語は、「黒人の命は大切」ですが、今日見たNHKの記事でさえ「黒人の命も大切(Black lives also matter)」と書かれて驚きました。

 

「黒人の命は大切」には多くの意味が含まれますが、「黒人という理由だけで殺されてはならない」が最大のポイントで、その背景には、歴史的な構造的差別があります。

 

多くのアフリカンアメリカン(いわゆる黒人)は、17世紀ごろ、砂糖プランテーションの労働力としてアフリカで誘拐されてカリビアン諸国、その後、綿花の労働力としてアメリカ本土へと売られてきた人々の子孫です。

 

以来数百年の間に人種が混じり合い、遺伝学的には明確な黒人の定義がないにもかかわらず、今も黒人の多い地域は貧しく、学歴も低く、犯罪が多いとされています。

 

疫学調査からも、黒人には2型糖尿病、心疾患、肥満が多く、高校中退率、失業率、生活保護率などが多いと考えられています。

 

その大きな理由は環境です。例えば、アメリカでは地域の税収によって学校の予算が異なるので、豊かな学区では優秀な人材や教材で子供達に質の高い教育の機会を与えられますが、貧困地区では教員数も教材も足りない状態です。

 

何世代もそのような状況を強いられた人々は意欲を失くし、十代での妊娠、薬物中毒、犯罪が多いのだそうです。

 

想像してみてください。幼い頃から、両親も祖父母も生活保護を受けていて、いつも親族の誰かが刑務所に入っていて、誰も学校を肯定せず、誰も高校卒業を成し遂げず、家に本が一冊もなかったら、街角には薬の売人や売春婦が普通にいて、捕まる現場をしょっちゅう見ていたら、それが当たり前だと思うのではないでしょうか?


もちろん裕福な地域でも、どんな片田舎でも犯罪は起こりますが、ほとんどの場合、後ろから銃で打たれたり、死ぬまで首を絞められたりしません。黒人ではないからです。

 

「黒人の命も大切」だと、「みんな平等に生まれた」という無知な前提のもとに「私たちの命と同様に黒人の命も大切よ」という表面的な善意を表している感じがします。

 

「黒人の命は大切」には、環境のせいで正しい判断ができなかった、目標を持てなかった、実力を出す機会がなかった人々の権利をみんなで守ろうよ、変えて行こうよ、というメッセージも込められています。

 

つまり、「黒人の命は大切」には私たち一人一人が意識を変えて、人権を守る行動を起こさなくてはいけないという責任も含まれています。

 

BLM運動で、肌の色が理由で警官に撃ち殺されないを筆頭に、人種・性差別がないアメリカへと動き出したと実感しています。