先日、録画していた三田佳子さん主演のドラマ「すぐ死ぬんだから」の1回目を見て、これが日本の現実か!ととても驚きました。

 

「何歳に見えるか?」、「年相応な服装でないと痛い」、「派手な色で若作りして」などなど、アメリカではまず聞くことがない、相手を傷つける酷い言葉を聞くうちに気分が悪くなりました。

 

「何歳に見えるか?」はそんなに重要なことでしょうか?科学の発展とともに、暦年齢(生まれてから何年生きているか)は生物学的年齢とは関係ないことが明らかになっています。

 

生物学的年齢は(いくつかの考え方があるのですが)ざっくりと、分子レベルでどの程度ダメージを溜めているか?ダメージの増大でゾンビ化した細胞(死ねない細胞)がどのくらいいるか?などで決まります。

 

暦年齢と生物学的年齢が一致しているのはせいぜい幼児期だけ。その後の食事、生活習慣、住環境で生物学的年齢は暦年齢から離れていきます。

 

例えば、子宮は他臓器より早く老化する、喫煙者の肺は老化が早い、マラソンランナーの心肺機能は若さを保つ、夜勤のある人の乳房は老化(癌化)しやすく、糖尿病の人の血管は老化が早い、など臓器ごとに生物学的年齢が違います。

 

老化は子供の頃から始まります。運動不足と甘いものの食べ過ぎは確実に老化を加速します。だらだら食べる、睡眠不足も老化の原因です。ゾンビ細胞は炎症物質を撒き散らして周りの細胞を癌化します

 

癌細胞はお砂糖が大好きです。年齢にかかわらず体を動かさずに甘いものをだらだらと食べて夜更かしをしていると老けるだけではなく様々な癌を発症する危険性が高まる、つまり老化が加速されるのです。

 

さてドラマの戻りますが、ドラマの中で生物学的年齢が暦年齢を超えていると感じた人は主人公の娘です。

 

大量のケーキを食べながら母親に説教し、ブログで嫌なことばかり書いている様は「老化の権化」。血管の老化から十分な酸素と栄養が行き届かないため、脳機能が落ちている様子がよく描かれていると感じました。

 

唯一素敵だと思った言葉は、主人公が心の中で呟く、「年は忘れるものではなく、(相手に)忘れてもらうものだ」です。年齢というフィルターを通さないで付き合える人でありたいという意味かと思います。

 

アメリカでは、仕事、遊びにかかわらず、相手の年齢や何色の服を着ているかを気にする人はほとんどいません。それよりも、仕事ができるか、会話ができるか、一緒にいて楽しいかなどの方が重要です。

 

13年前の私とダンナ(左)と義父母(右)

ちなみに義母は今でも原色のTシャツをきています。

 

極端な例ですが、12年前に亡くなった私の義父をご紹介します。彼は著名な腎臓専門医で、この写真は、学術学会の招待演説者として話した後にレストランで撮ったものです。初めての人は驚いたことでしょうが、カウボーイ姿は彼のお馴染みの服装で、毎日の診察も、国際学会にもこんな感じで行ってました。もちろん靴もカウボーイブーツできめて、亡くなる直前まで診察を続けていました。

 

「何歳に見えるか」とか「何を着ているか」よりも、「社会に一員として何をするか」の方が大事です。暦年齢に関係なく、食事と生活習慣で生物学的年齢を若く保って、「何歳の私」ではなく「私」として生きている人の方が断然カッコいいと思いませんか?