シチリア島の中に残るギリシャ遺跡の跡地として以前セジェスタとアグリジェントをご紹介しましたがダウン

 

 

今回はシチリア島、ヨーロッパの中でも最大の古代ギリシャ遺跡群セリヌンテをご紹介いたします。

 

セリヌンテの歴史

シチリア島南部に位置するセリヌンテは紀元前7世紀中頃、古代ギリシャの都市セリヌス(Selinus)として建設され古代ギリシャの植民都市として重要な都市の一つでした。当時のギリシャの都市計画に従って設計され、アクロポリスや神殿、劇場などが建設された後、急速に繁栄し、紀元前5世紀にはシチリア西部の最大かつ最も豊かな都市の一つとなりました。当時交易が盛んで主な農産物としては穀物、ワイン、オリーブオイルなどがありました。

紀元前5世紀後半、セリヌンテはカルタゴと対立が生じ、紀元前409年から紀元前406年にかけて行われた対カルタゴ戦争でカルタゴ軍により破壊、占領され多くの住民が虐殺されカルタゴの支配下となりました。紀元前250年には、ローマ帝国がシチリアを支配するようになり、セリヌンテはローマの支配下に入りましたが、一定の繁栄の後衰退し、中世になると都市は完全に放棄され、廃墟となりました。近代以降、セリヌンテの遺跡は発掘され、古代都市の壮大な遺構や神殿跡などその歴史的な重要性と美しさが伺えます。

(カルタゴとは古代のフェニキア人によって建設された都市国家であり、現在のチュニジアの首都であるチュニスの近くに位置しています。フェニキア人は、紀元前約2500年から約3000年前の間に、現在のレバノン、シリア、イスラエルの沿岸地域に定住したセム語系の民族で優れた船乗りであり、地中海の各地と交易を行うために広大な商船団を運航していました。)

 

セリヌンテ遺跡群の特徴

セリヌンテ遺跡群は、東神殿群のTempli Orientali(テンプリ・オリエンタリ)と、西方向約1kmにある古代都市Acropoli(アクロポリ)からなっています。東神殿には、ほぼ形の整ったE神殿があり、ここは内部に入ることもできるので、その大きさを身近に感じられ、隣のFとG神殿は、修復された柱もありますが、紀元前409年にカルタゴ軍によって破壊されたF神殿と、その後の大地震によって瓦礫の山になった両神殿は現在殆ど瓦礫の山と化して残っています。また、東側の神殿群は神話や宗教儀式の中心地として重要な役割を果たし、西側のアクロポリス側は都市の最も高い場所に位置しており、防衛の要となっていました。アクロポリスには神殿や市民の住居があり、都市の中心的な地区として機能していました。セリヌンテ遺跡群には、古代の劇場の遺跡も残されており、劇場は市民の娯楽や文化活動の中心地として古代ギリシャの劇や演劇が上演されました。


セリヌンテ含むシチリアの知らざれる古代ギリシャ遺跡とその歴史についての動画はこちらダウン


セリヌンテのショート動画ダウン

 

東側にあるE神殿

 

 

 

 

 

 

 

F神殿

 

 

 

G神殿

 
東側から西側の遺跡を望む

 

西側にあるアクロポリスの住居跡

 

西側にあるC神殿

 

 

 

 

 

セリヌンテは州都パレルモから車で約1時間半ほどの距離(約120km)にあります。

 

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