波乱万丈なわたしの人生の「闇の部分・波乱な出来事」を振り返る物語

37話目の今日は

 

初回離婚がなかな成立しなかった理由について。

 

 

前回の記事はこちら↓

 

 

 

離婚はすぐにしてもらえるものと思っていました。

 

旦那さんは

 

何かあってわたしが「OOしてほしい」と言っても

 

「オレが△△したいんだからイーじゃないか」

 

と必ず言っていて

 

結婚生活うまくやっていきたいと思ってるようには思えなかったので。

 

 

でも甘かったです。

 

 

常に「△△だからイーじゃないか」と言ってはいても

 

家庭や子供たちの事はとても大切に思っていたらしく

 

簡単には離婚してもらえませんでした。

 

 

なので離婚調停を申し込みました。

 

でもここでもまた話し合いが親展せず

 

ずっとこう着状態。

 

で、そこで「なるほどー」と思うことが判明しました。

 

 

離婚調停が始まって数ヶ月が経ち

 

4回目の調停の日

 

わたしは調停委員の方からこう言われました。

 

 

「もう調停を取り下げたらどうでしょう」

 

 

一瞬「え?なんで?」と思いましたが

 

調停委員の方いわく

 

「普通、離婚調停を申し込まれると

 

相手方は結婚生活の持続はもう難しいのだと理解して

 

財産分与や慰謝料・養育費というような

 

金銭的問題のことをメインに調停で話し合います。

 

ですがお宅の旦那さんはいまだに状況を理解してなく

 

離婚しない・やり直す と言っています。

 

何十年も調停委員をしていますが

 

このような方は初めてで

 

あなたが「話し合うということができない人だった」

 

と言っていたのがとてもよくわかります」

 

 

これを言われた時

 

わたしは「あー、やっぱりそうなんだ」

 

と思ったのと同時に

 

「わたしがわがまま言ってただけじゃなかったんだ」

 

と思ってちょっと安堵。

 

そして調停委員さんのおっしゃる通り離婚調停を取り下げ

 

離婚が認められる「別居期間2年」をめざすことに。

※別居期間2年は当時なので、今は違うかもです

 

 

 

が、そのあとが大変!

 

 

旦那さんが

 

「なんで勝手に(調停を)取り下げるんだ!

 

オレだって歩み寄ろうとしてるところだったのに!」

 

と激怒。

 

 

それに対して

 

調停の方がおっしゃった事を伝えましたが

 

それに対しても理解を示すことはせず

 

「オレはオレのペースで歩み寄ろうとしてたのに!!」

 

とずっと同じ言い分を言い続けていて

 

「あー、結局どんな場面でもこの人はこうなんだな。。」

 

ととってもむなしかったですね。

 

 

そしてこの後

 

離婚が成立するまでの間に起こった最大のできごと

 

「警察のお世話になった事件」

 

が起こります。

 

To be continued 飛行機

 

 

この1カ月後ぐらいに家出した記憶