アメブロを始めてちょうど10年。
その間
マイナスな話題や言葉は書かないよう心掛けてきました。
そして「元気で明るい人」な感じをかもし出してきました。
でも10年の節目だし
年が明けたら還暦という節目の年齢だから
ブログタイトルにある「波乱万丈」の一面を
思い切って公開してみようかと。
育った家庭環境はかなり壮絶だし
わたし自身がかなりヤラかしまくって生きてきたから
書くのはかなり勇気必要で
1週間以上もモタクサしていました。
でもため込んでる(隠し続けてきた)
良くない記憶・ダークな自分を
書くことで吐き出せたら
自分が引っ張りまくられて
今も苦しんでる
「無意識の負の感情・無意識の負の連鎖」
から解放されるんじゃないかと思い
書いてみることにしました。
まずは
生まれ育った家庭環境から。
かなりヘビーです
読んでて具合悪くなるシーンもあるかもしれません。
そしたらごめんなさい🙇♀️
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両親は共に学校の先生でした。
父は小学校の先生で
最後は校長先生にまでなった人。
そして母は中学校の音楽の先生で
田舎の中学校では唯一のブラスバンドを作って
精力的にコンクールに出て好成績を収めていた人。
そして2人ともハンサムと美女。
性格は共にめっちゃ明るくて社交的。
で更に2人はと~っても仲良し^^
なので外側から見たら
「.裕福で幸せでご立派なご家庭」。
でも内側では。。
父に酒乱の一面があり
お酒飲んでない時でもすぐにカッとなる性質で
母に暴力をよくふるってました。
そして「さぁ、夕飯よー」って時に
母の一言に激怒して
美味しそうなご飯が並んだ食卓が
一瞬にしてひっくり返されたり
炊き立ての炊飯器を窓に向かって投げて
サッシはバリバリに割れて
炊き立てのご飯が縁側で炊飯器から全部こぼれて
ユラユラ湯気を立ててたり
ケーキを食べると言った父に
母が「へー、あなたもケーキ食べるんだ」と言った瞬間
「俺がケーキ食ってなんが悪いとかーッ!」って叫んで
まだ開けてないケーキの箱を真上から手のひらで
バーン💥って叩いてボロボロにしたりとか。
幸せの時間が一瞬にして修羅場になる
そんなんもうしょっちゅうでした。
またわたしが何年生ぐらいの頃でしょう。
父方の親戚のところから父が帰ってくると必ず
一晩中お風呂で母に暴力をふるい続けていて
翌日見ると洗面器はバリバリに割れてる。
そして母の顔があちこち腫れて真紫になっていて
ちょっと動くたびに「痛いッ😓」と言ったりする
と言うのが何年か続きました。
わたしと姉は寝ていたのですが
父の怒鳴り声と洗面器で母をゴンゴン殴る音で目が覚めて
その音が止まるまで何時間も
お布団の中で息を潜めてジッと耐える。
助けに行きたいけど怖くて動くこともできない。
また一度は父が「殺すッ!」と言って台所に行き
包丁が入ってる扉を開けて扉をバンッ!と締める。
結局それは父が母を脅しただけで何もおこらなかったけど
もう「ママが死んでしまう!殺される!」と
恐怖を味わい続ける夜が何回も何回もありました。
そして何かで激怒した父が
縫い物している母の後ろ姿に湯呑みを投げたら
それが母の後頭部に当たって頭が切れ
ものすごい出血。
しばらくすると母が「寒い寒い🥶」と言って震え だし
この時も「ママが死んじゃう!」と
ものすごく怖かったのを覚えています。
そしてわたし達にも父は結構ひどくって
何かあるとすぐに怒鳴る
怒りがひどい時には体が吹っ飛ぶほどのビンタくらわす
アレするな、コレせんでいいと決めてしまう横暴父親。
そんなこんなで育ちましたから
わたし自身も本当にいろいろと「難あり」な性格で
平穏な人生を敢えて選ばない
みたいな日々を送ってきましたし
大人になってから色んな症状が出るようになりました。
そんなこんなをこれからしばらく
連載で書いて参ります。
To be continued
最後に。
10月に2年ぶりにアメブロ記事を書き始めて
たくさんのいいねをいただき
フォロー読者様も140名も多くなりました。
とても嬉しく励みになっております。
本当にありがとうございます。
2024年が皆様にとりまして
そしてわたしにも
素晴らしい一年となりますよう
お祈り申し上げます
心からの愛を込めて💓