西新宿 Bar BenFiddich(ベンフィディック)

西新宿 Bar BenFiddich(ベンフィディック)

BenFiddichの店名は店主の鹿山博康から由来【Ben】→【山】【Fiddich】→【鹿】
畑を持つ農家バーテンダーであり『Farm to glass』を提唱
日本在来種の自生する草根木皮をもカクテルに変える新しい可能性を模索
アブサン、薬草酒、古酒がゴロゴロ転がるBar

BenFiddich店主の鹿山です。

ジントニックをつくるとき当たり前のように注ぐトニックウォーター。柑橘香と独特のほろ苦さ。
その苦味の正体がキナ(規那)である。

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こちらはインドネシア産のキナ(規那)

キナは英語で cinchona と呼ばれるボリビア、ペルー、コロンビアなどにまたがる東側アンデス原産の樹木。樹皮に含まれるアルカロイドキニーネ (quinine)は、かつてマラリアの治療薬として用いられた成分であり、世界の多くの人を19世紀に救った樹木。

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その原産地でもあるペルーの国旗に描かれてる木は
キニーネのキナの木だ。
世界を救った木ということでペルーの誇りの木でもある


独特な苦味から、苦いマラリア薬を飲みやすくするために生まれた飲み方が19世紀初頭に誕生。
キナを濃縮したキニーネ液➕砂糖➕ライム➕炭酸or水🟰トニックウォーターの原型となる。
そこに当時、薬の側面もあったジンも入れさらにブーストさせた滋養アルコールカクテルがのちの
ジントニックとなる。

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バーテンダーとして、いつかトニックウォーターの原料である『キナ(規那)の産地を見てみたい‼︎』
という憧れを20年前くらいからずっと持っていた。
なんでかというと、20年前くらいだと
海外製品のトニックウォーターというとシュエップスほぼ一択なんですね。それも日本ではキニーネを食品に使用できないため、香料などでトニックウォーター特有の苦味を再現して日本コカ・コーラ社が国内製造。

本物のトニックウォーターは
海外でしか手に入らない。

『海外産のシュエップストニックウォーターは本物のキニーネが入ってるんだぜぇ』ってまことしやかに囁かれた20年前。
アメリカとかヨーロッパに出張に行くお客様に海外産のシュエップストニックウォーターを買ってきてもらったりする。

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国内製造と海外産のシュエップストニックウォーターの見分け方があってこの『The original Indian Tonic』
と記載されてるのが海外産。国内製造だと記載されていない。

当時近所のバーテンダーがお客様に海外産の
シュエップスのIndian Tonicを買ってきてもらってて、営業終わりにみんなで集まって
【本物のジントニックの会】なのを催してみんなで
シュエップスのIndian Tonicを飲んで興奮したりした。

『すごぉーい!なんかいつもより苦い気がする‼︎』

みたいな感想だったと思う。

2010年以降になるとSNSも含め急速に世界が近くなり、情報も、流通も、商品も、手段も多様化し、いつしかシュエップスのIndian Tonicの都市伝説ばりの神格化も忘れさられてたと思う。


そんな僕の中でもいつしか気がついたらトニックウォーター熱が冷めてしまっていた2026年。
インドネシアのバンドゥンという地方都市に呼ばれゲストバーテンダーをする事になった。

インドネシアは暑いんですね。
ジャカルタもバリも。年中。過去にはスマランという街とジョグジャガルタでもカクテルを作った。そこももちろん暑い。

だから今回のバンドゥンも予習なしに訪れ、到着したら暑いと思ってたら暑くないんですね。

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バンドゥンは涼しい高原都市でした。
標高が低いとこでも700m
都市機能がある高いとこでも1200mはある。


あれ?って思って。
キナ(規那)の原産は南米のアンデスだけど、1900年代〜1945年までは世界のキナ(規那)生産地の中心地はオランダ植民地時代のインドネシア。キナ(規那)は熱帯植物で冬は苦手だけど冷涼な高原で育つというのは調べたことがあって、バンドゥンの街がそんな感じだからちょっと調べてみたら

やっぱりそうで

バンドゥンの街の山側。プリアンガン高地は
オランダ領東インド時代においてのキナ(規那)の
一大プランテーションがあった場所。
山々で栽培されたキナの樹皮はバンドゥンの街へと運ばれ、街にはその樹皮からキニーネを抽出、精製する工場も存在。バンドゥンは1900年代初頭は世界のキニーネ供給の90%を担う『キナの首都』的な存在だった。ちなみに1942年〜1945年の太平洋戦争当時、インドネシアは日本が3年間だけ統治。国策で武田薬品や星製薬などがバンドゥンのキナ農園の管理を行っていたそう。

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バンドゥンにあったBandoengsche Kinine Fabriek(バンドゥン・キニーネ工場)。工場は1896年設立。1942年に日本軍が接収し、「陸軍キニーネ製造所」として第16軍の管理下に置かれていた。
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キナ樹皮を剥く人々


そう、バンドゥンはキナの首都。

なので、バンドゥンのバーテンダーに

鹿山
『今でもキナ農園はあるの?キナ農園を見に行きたい‼︎』とリクエスト。

インドネシアのバーテンダー達に連れてってもらうことになった。

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のどかな山道の集落をどんどん抜け進む。
標高は1200m〜1600mの間。
赤道に近いにも関わらず、
日本の夏よりも圧倒的に涼しい。
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山の森の中にあるキナ工場。
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パブリック.キナと書いてある。
民間ではなく政府機関の場所。

現代においてインドネシアではもうキナは積極的にはもう栽培をしていない。
第二次世界大戦後、マラリア治療の主役がクロロキンなどの合成抗マラリア薬へと移ったことで、天然のキニーネを大量に生産する必要性は低下していきキナ生産は徐々に縮小していった。
主要生産地もインドネシアからアフリカへ。
いまではコンゴ民主共和国の高地が大きな生産地となっている。
南米原産→インドネシア→アフリカ。
キナの生産地はほぼ地球を一周している。

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キナの木。
小さな苗木を植林してから
おおよそ6年〜10年の間で収穫期となる。
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このように番号が振り分けられ、
しっかりと管理されている。


【キナの木の収穫方法】

キナは、植えてから約6〜8年かけて育て、十分に成長した木を伐採。キニーネの原料となるのは主に幹や枝の樹皮だが、樹皮を一周分剥ぐと水分や養分の通り道が断たれ、木は枯れてしまう。
そのため伐採後に樹皮を剥ぎ乾燥させて原料へ。

一方、切り株を残しておけばそこから新しい芽が伸びる。芽を育てて再び木にする「萌芽更新」によって、根は残し同じ株から次の収穫に向けまた6年〜10年でキナを再生できるという循環方法。
林業に近い方法だ

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根がしっかり深く生きていれば伐採してそこから
ひこばえ(萌芽)が出てくれば根はでかいので
成長はしっかりと早い。これの循環の繰り返し
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キナの山の管理者のキナおじさん(右)
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キナの木の葉っぱ
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ここはキナの木の保管エリアと思われる場所。
現在は空っぽ。現在は需要が激減し政府管理のもとに
計画的に産業として細々と続いている。

僕らがいまいるプリアンガン高地が100年前は世界の90%のシェアを誇るキナの大プランテーションであって、
1942年〜1945年の3年間は武田薬品や星製薬の日本企業が管理していた山で日本人もいたとなるとちょっと感慨深い。

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インドネシアのバーテンダー達に連れてきてもらいました。最後はオフロードの道を普通の乗用車でガッコンガッコンと揺れながらパンクするんじゃないか心配になりながらのドライブ。
ありがとうございました。


トニックウォーターの原料に
思いを馳せてきました。


BenFiddich店主
鹿山博康