西新宿 バー ベンフィディック

西新宿の高層ビル群を目の前にひっそりと9階に佇むBarでございます。


テーマ:
鹿山です。

前編では19世紀末までのシャルトリューズの歴史を書いた


前編で書いたことを簡単におさらいだ


⑴1084年 ブリューノ聖人がシャルトリューズ山に修道院を構える


⑵1605年 パリのシャルトルーの修道士(シャルトリューズの修道院にいる修道士達と同じ考え方を持ち、信仰する一派)が、薬草を用いた薬を作り始める。


⑶1737年 シャルトリューズの修道院に蒸留所が開かれ、蒸留開始 


⑷1764年  グリーンシャルトリューズ 誕生


⑸1789年 フランス革命 修道会 解散 追放


⑹1815年 ナポレオン失脚


⑺1816年 シャルトリューズの修道士達帰還


⑻1838年シャルトリューズ.イエロー誕生


⑼1840年シャルトリューズ.ホワイト誕生


⑽1860年 蒸留所の場所をフルヴォワールに移転 


(11)1903年 フランス国内の政教分離法により又も修道会解散
↓            
スペインのタラゴナに蒸留所建設、稼働、修道院の一部を移転














そう、ここからが続きだ













1903年からフランス国内の政教分離法により
シャルトリューズ修道会は解散



一部の修道士達はスペインはタラゴナに移転する
{0CD832DC-6E1A-4793-9459-45AD6D45D25B}


シャルトリューズも1903年以降はこのタラゴナの地で製造を続ける
{659106EE-696B-4DC1-BB8E-138290276F44}





その後、1920年代にシャルトリューズ修道会はフランスへ戻ることになり1920年代からフランスで製造を再開することになるが
スペインタラゴナの地では1989年までシャルトリューズの製造が続けられる
そうスペインとフランス両方で作られ続ける







話題脱線して鹿山の大好きなアブサンの話しになるが
アブサン界の雄である
PERNOD absintheも1915年 アブサン禁制以降
フランスではアブサンが作れないので
このタラゴナの地でアブサンの製造を続ける



   






ではなぜタラゴナなのか?










当時大きなフランス人コミュニティがあったこと

②ワイン生産地で原料用アルコールであるグレープスピリッツが安価で手に入ること

なにか宗教的な理由があるかと思ったが
この二つだけの理由により
PERNODもシャルトリューズもタラゴナへ移転したのだ





そして、シャルトリューズがタラゴナへ移転した
1903年がシャルトリューズにとっての大きな転換期となる


1903年以前まではシャルトリューズはシャルトリューズの修道士達によって製造から販売の一切を担っていた


この1903年スペイン、タラゴナ移転は民間の信徒達の手引きによる移転なのだ
この時代から民間が介入する
商標名も

『Tarragone par les lesPèresChartreux』


そう、chartruseではなく、Chartreux

{F011D9D7-7955-4074-B441-A09774B56E5E}

Peres Chartreux Taragone 1930's

Chartreuxの意味は

シャルトリューズの修道院にいる修道士達と同じ考え方を持ち、信仰する一派
いわゆる民間の人達である
Peresは父親の意味

Chartreux(chartruseの信徒達)
Peres(父親)
Chartreuseだ
民間の信徒達の助けあってこその
タラゴナシャルトリューズなのだ




そして、フランスから追放されたシャルトリューズ修道会は
無論、
フランスからシャルトリューズの商標が奪われた


バーテンダーなら皆が知っている
リキュール総合メーカーの
キューゼニア社によって商標が渡るフランスで生産される
それが

『CompagnieFermièrede la Grande Chartreuse』

となる






このキューゼニア社がシャルトリューズの呼称を保護しなかった事により、当時より名声を得ていたシャルトリューズにあやかって
シャルトリューズのイミテーションがこの時代より増え始める


シャルトリューズ蒸留所にあるビジターセンターにあるイミテーションコーナーだ
{0E8C763D-676E-45DE-BC77-55400B3DE549}


日本のモロゾフシャルトリューズもある
(原モンデ酒造)
{96223735-5167-4F02-9DFA-82CD12F12D61}



しかし、このキューゼニア社がシャルトリューズの商標権によってフランスで製造していたシャルトリューズはキューゼニア社独自のレシピであり、
(本家レシピはシャルトリューズ修道士によりスペインはタラゴナに持ち込まれた為)
あまり人気がでなかった

さらにはシャルトリューズの信徒達によって
フランス以外の近隣諸国のシャルトリューズの商標権を有していた為、輸出ができず売上が先細りになり
けっきょくフランス国内においてのシャルトリューズの商標権を有したキューゼニアのシャルトリューズは 
1927年に破綻する。
1930年 商標権を売却するのだ





その破綻に拍車をかけた理由がこうだ






ここからが本家シャルトリューズの攻勢だ
1921年〜1929年のわずか八年間
シャルトリューズの信徒達の手引きによりシャルトリューズは
フランス国内のマルセイユにて蒸留所を建設して稼働させフランス国内でもシャルトリューズを製造開始



しかし、1921年〜1929年の期間はシャルトリューズの商標権はキューゼニア社に帰属する

よってフランス マルセイユでシャルトリューズ修道会は製造をするが
呼称はスペインはタラゴナの
『Tarragone par les lesPèresChartreux』のままで
リリース
{BE49EF0E-0B1E-4DF8-8C5C-C2266C3F56F3}
マルセイユで製造されたシャルトリューズ
Peres Chartreux Taragone 1921年〜1929年

そう、マルセイユだが、Chartreuseの商標がフランスのキューゼニア社に帰属しているので
タラゴナの名前のままリリースをしているのだ








これによってフランス国内でも本家シャルトリューズが流通する事により
1927年売上が先細りになった
キューゼニア社のシャルトリューズが破綻

1930年
その商標権をシャルトリューズの信徒達が買い戻し、
本家シャルトリューズ修道会に寄贈



政教分離法により追放されたシャルトリューズ修道会ではあるがこの時代には政府の暗黙の了解で
フランスへ帰ってきている
(第二次世界大戦後、政府は修道会の追放命令を完全解除し、大戦以後は合法として戻ってきている)







1930年より、マルセイユから元の場所にあった

グルノーブルの近くのシャルトリューズ山の山中にある
1860年から続いているフルヴォワールの地に
帰って製造を再開するのだ






が、しかし








1935年   大規模な地滑り、天災が起きる
{59490515-F462-459E-A0B9-63C7EC8A327B}




シャルトリューズ修道院へ向かう途中に廃墟になった
フルヴォワールの修道院跡地を見る事ができる
{87BE89EB-6DCD-44C3-911F-EE14A25F08F2}





その後、
再建をして
1935年以降いまのヴォワロンの街へ蒸留所は移転するのだ
{5CC29AF7-86B5-49DF-BA3C-D08F24E3F888}







そこからさらにヴォワロンの街から
2018年 シャルトリューズ山にあるエギュノワールに蒸留所建設・稼働するのだ

※ エギュノワールにはシャルトリューズ山にある修道院の修道士達が話し合いや集会をする場所(フランス語 la grange)があり、現在も当時の建物が存在する場所だ
ここをリノベーションする
{098C4853-D074-4EF7-BBF9-8A536679BF56}







話は戻り、レシピの話をする


タラゴナ移転の1903年から
民間の信徒の手助けが必要となり
必然的にシャルトリューズの秘伝のレシピを知るのは
二人だけというルールが自然確立され伝統になり今日に至る
(秘密保護の為にレシピを知る者を少数にした)







シャルトリューズ修道院には現在約30人の修道士が暮らしており
その中で薬草の調合を施しレシピを受け継ぐものは
二人なのだが、その二人の理由は実は特にないらしい






そう、二人なのだ







ただ、日本のシャルトリューズを検索したり、
日本のカクテルブックや本、ネットのソース元を閲覧すると
『シャルトリューズのレシピを知る者は三人とある』
{0517AB50-7DA7-43C3-99CA-6A27F124AE2D}



海外のソース元でシャルトリューズに関して色々な言語検索をかけるとシャルトリューズのレシピを伝統的に受け継ぐ者二人なのだが、
日本のソース元は三人なのだ



この謎について現シャルトリューズの社長である
エマニエルさんに聞いてみた







これには理由があった








十数年前にハーブ類の調合をし、
レシピを知る二人のうち一人の
ブラジル出身の修道士がある日突然
国に帰りたいということになった。







無論、レシピを知るものが一人減ってしまえば
シャルトリューズ修道士の中より新たに一人レシピを知る者を新たに選ばなければならない。
そこで、ブラジル人修道士の代わりに新たに一人、
レシピを知る修道士が育てられた。







が、








当時の修道院長が国に帰ってしまったブラジル人修道士にどうしても戻ってきて欲しいと懇願した



そのブラジル人の彼は
年齢が三十代になってから年齢的に遅くに
シャルトリューズ修道院へ入った

いわゆる俗世にいた期間が長く
ラテン国家出身ということもあり陽気で修道院の中でも異質で人間味があったらしい


彼がいなくなったことにより、何か歯車がよく噛み合わなくなったのか、
数年後にブラジルよりまたシャルトリューズに
呼び戻される




そのブラジル人が帰ってきたことによって、
彼がまた生産に携わる事になり、一時的に
伝統的な二人だったのが三人になってしまった









そして、新しくレシピを享受された修道士は
生産から外され、
現在はまた二人になっている





これが日本における情報が三人のままになっている理由だ

鹿山はすっきりした










シャルトリューズの修道士達は毎週月曜日に山から降りて外出することを許される





しかし、レシピを知る生産者二人は月曜日に限らず
いつの時でも外出を許されるという特権を持っている。
そのブラジル人のシャルトリューズ修道士は
俗世時代が長く、陽気な性格の為、
民間のシャルトリューズ蒸留所関係者とも
仲が良くそのパイプ役として大切だった
{17B7C16F-7262-43A1-92F8-FCC873A119D4}


現代においてのシャルトリューズ蒸留所は
民間が生産、蒸留、熟成をしており
レシピを知る二人の修道士がコンピューターで
遠隔管理をしている



{77F985C6-CEDA-4E0D-ABA3-1A427C58D6E7}

いわゆる秘伝のレシピというのは
ハーブ、スパイス類の調合であり、
この分量がいわゆるブラックボックスとなる

この配合を二人の修道士が行い
一つ一つの麻袋に番号を振り分け、
シャルトリューズの信徒達(シャルトリュー)
がシャルトリューズ修道院のあるシャルトリューズ山からヴォワロンにあるシャルトリューズ蒸留所へ運ぶ


そこに民間のシャルトリューズ蒸留所が
蒸留機へ振り分けられた番号の麻袋を順に蒸留釜に投入してゆくのだ



そして出来上がったものはフレンチオークの大樽へ保存される
{9C8784CD-E130-4289-AF8E-DE1E0841D0B3}

延々と続く地下セラーだ

基本的に写真撮影は禁止だ
許可をもらいここまでの写真ならOKとの許可を得た


{E2B8AFFE-E2B4-4A6B-884F-5946CB77E3AA}

樽から滲み出るシャルトリューズだ

こそげ落として食べさせてもらった








来年からシャルトリューズ蒸留所
がヴォワロンの街から
シャルトリューズ山にあるエギュノワールに蒸留所建設・稼働する






楽しみである





長々と前編、後編とシャルトリューズについて書いた 

是非シャルトリューズの素晴らさがお客様一人一人に伝わればと思う




今宵、西新宿 Bar BenFiddich
お待ちしております
















AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。