こんにちは、優等生大人女子カウンセラーの佳山静野です。

プロフィールはこちらからご覧ください。

 

昨日は、永遠の少女 と言うテーマで

【幼児期(5〜6歳あたり)】を振り返りましたが、

 

今日は、引き続き【幼児期(5〜6歳あたり)】を

振り返ってみたいと思います。

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我が家は、いつも両親の喧嘩が絶えませんでした。

 

父が会社を辞める、母が怒り狂う、父が就職する、

また辞める、の繰り返し滝汗

 

 

そういえば、父は、時々朝帰りもしてました。

外に女の人がいたのか・・・

父は、20年ほど前にガンで亡くなりましたので、

もはや真実はわかりませんガーン

 

 

喧嘩と言っても、いつも一方的に母が父を責め、

父が謝る、というパターンでした。

 

 

父はかなり繊細な人でしたから、

母があんなにヒステリックになったら、

家に帰ってこなくなるのも無理もない、

と今では思います。

 

 

その頃は、そんなことはわからなかったので、

母の言うことだけが真実だと信じていました

 

 

そして、

二人が喧嘩している夜は、

ただただ布団の中で泣きながらやり過ごしました。

 

胸が苦しくて、悲しかったけど、

決してそれを両親に悟られてはいけないと思っていました。

 

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母からは、しょっちゅう、

「お前がいるから離婚できない」とか

「お前のために我慢している」と言われ、

 

ここでも、やっぱり、

私は母を苦しめる悪い子でした。

 

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「お父さんのようにはならないように」とか、

「収入が安定しているから公務員になるように」とかも

さんざん聞かされました。

 

父親を否定するってことは、

私の半分も否定されているってことなんだけどなぁゲロー

(その時はもちろん、わかりませんでしたが)

 

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こんなことは、世の中にはよくある話かもしれませんね。

両親が揃っていて、貧乏ながらも毎日が暮らせたのだから、

幸せだと思わなければいけないのかもしれません。

 

 

でも、私は「存在してはいけない」

 

っていうメッセージを

繰り返し受けとっていたのです。

 

 

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次回は、禁止と命令の日々 というテーマで

【小学校低学年あたり】を

振り返ってみたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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優等生大人女子が自分第一で生きるためのカウンセラー 

佳山 静野

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