講談社学術文庫読書記録 No.59 『グリム童話考 「白雪姫」をめぐって』 | BLOGkayaki1

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『グリム童話考 「白雪姫」をめぐって』小澤俊夫 1999.11
 
 「イソップ物語」の次は、「グリム童話」だ!
 そんな単純な理由で次に読む本を選んだ。昔話がどうやって蒐集され編纂されていくのか、その過程を垣間見るのが大変面白く感じるようになってきた。
 
 グリム童話(『子どもと家庭のメルヒェン集』)は、ドイツの言語学者・グリム兄弟(兄はヤーコプ、弟はヴィルヘルム)が口承の物語を聞いて集めて編纂された書物だ。
 本書を読む前は、ドイツ語辞典を編纂するための資料収集として数量がたまったメルヒェンを本にまとめた副産物的な著作物が「グリム童話」である、と聞いたことがあったのだが、どうも違うらしい。
 どちらが正しいのか、他のグリム兄弟研究の本を読んで判断するしかないが、少なくともこの「グリム童話」を初版(1812年)から数えること45年、第7版まで手を加え続けて質の向上を目指していたこの執念を考えると、確かに「副産物」では片づけられないものがある。
 
 さて、前回の「イソップ物語」は、時代や編纂者によって一つの話が他の動物に置き換えられたり結論が代わっていくところが見ものであり、二千年以上の風雪を耐えるに致し方のない変遷があったと理解した。
 しかし今回の「グリム童話」は、同じ著者が45年の間に一つの話に色々と手が加えられたり割愛されたり、脚色されたりしているのを比較するのが面白い。
 売れるために、読みやすくするために、芸術的に昇華させるために変えていったのだろうが、一番は、どうしたら子供たちの「ためになる」かを試行錯誤したことだろう。
 
 「手が加えられた」とはいっても、話の筋は聞き取り調査の本筋(つまりは初版)を貫き通しているから、別に改変したりましてや捏造したりしているわけではない。そこは言語学者の矜持として許さなかっただろう。
 ではどうして、手が加えられる必要があったのか。それは、時にはグロい描写があるからだ。ひと頃流行った、「本当は怖いグリム童話」みたいなことで、子供に読み聞かせるのに適か不適かという葛藤があったようだ。
 しかし著者は、残虐な行為はむしろメルヒェンにはつきものだ、と断言する。魔女は悪い奴だから殺さなければならない。「灰かぶり姫(シンデレラ)」の継母と義理の姉はひどい仕打ちをしてきたのだから目を刳り貫かれなくてはならない。それが悪を憎む精神を育むのだ、と。
 一方でこれをそのまま今の時代に適応するには問題があるとも著者は説く。目を刳り貫かれた義理の姉たち、つまり盲目者は哀れなのか?これは障碍者に対する偏見につながりかねない。魔女は悪という思想に至っては、中世の魔女狩りという欧州の狂乱時代を思い起こす。
 
 歴史的事実として、当時の物語(それこそ本当は怖い童話)を記録に残すことは、当時の時代的背景や空気を知る上でも大事だ。
 一方で、今の子供たちにはいかにして物語を咀嚼して誤解や偏見を取り除いて語るべきか。
 そう考えると、大人になった今こそ、子供向けの本の内容に一層の興味を覚えるのである。