講談社学術文庫読書記録 No.54 『カレーライスの誕生』 | BLOGkayaki1

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『カレーライスの誕生』小菅桂子著/2013.3

 2013年にユネスコの「世界無形遺産」に登録された「和食」の範囲はどこまでか、というのが登録後に話題となった。
 特に「ラーメン」が「和食」としてフランスに紹介された折、果たして拉麺は和食か否かが議論になっていたことを記憶している。
 「拉麺」が中国語であることからして中国の食べ物である。しかし、日本様式のラーメンを中国で食すには、日本のラーメンチェーン店以外に無い。日本独自の料理と言える。かくして「ラーメン」は和食とする説が浮上した。今は「日本食」という言い方で落ち着いているようだが。

 

 これと同じように、「カレーライス」もまた日本独自の料理であり、ラーメンに並ぶ「国民食」と呼ばれるものである。
 カレーライスの場合は和食か否かといった議論はあまり聞かれない。ラーメンよりも歴史が新しいということもあろうが、「カレーはインド」という認識が広まっているためでもあろう。
 しかしながら、インドのカレーと日本のそれとは、あまりにもかけ離れている。(冒頭の写真参照。写真はスリランカで食したものだが、インドでも大体同じ。)ならば、堂々と日本独自の料理として宣言できないものだろうか。

 

 今の日本のカレーは明治時代にイギリスから入ってきたものだ、だからカレーライスは寧ろ洋食であり、独自性はイギリスにある、と言われるかもしれない。何を隠そう自分がそう思っていた。
 実際に、イギリス海軍のカレーライスは日本のそれと全くと言っていいほど同じものだ。だからカレーライスを「日本食」と呼ぶには苦しいかもしれない。

 

 しかし、日本にカレーが紹介された当初の状況が続いていたのなら、カレーライスは「和食」になっていたかもしれない。
 何しろ、明治初期には「カレー三種の神器」(と、本書では紹介されている)である3野菜、つまりジャガイモ、人参、玉葱が無かったのである。(漢方の朝鮮人参はあったが。)
 それでは当時、どんな野菜をカレーに入れていたのだろうか?ということが本書には書かれているわけだが、もしも西洋に追いつけ追い越せな3野菜の栽培事業が遅れていたら、そのまま日本独自の料理として発展していったのかもしれない。
 だが結果的には、北海道での栽培に成功した3野菜は晴れて国産野菜の代表となり、カレーライスは結局元の西洋風に戻ってしまった。その一方で、ビーフシチューの作成に失敗して今や「和食」となった3野菜の料理「肉じゃが」が爆誕したのだから、世の中はわからないものである。

 

 「国民食」と言えるカレーライスは果たして「日本食」かはたまた「和食」か見極めるためには、本書のような「歴史書」(と言ってもいいだろう)が必要である。
 冒頭のラーメン問題も、迂闊に断定すると中国からの反発を招きかねない。逆に、中国に反論するためにもやはり歴史をしっかり学んでおく必要がある。本書のようなラーメン版も、ぜひとも欲しいところである。
 さらにカレーの話に戻すと、ネパールもインドの文化圏であり本家カレーが食されているのだが、とある食堂で西洋カレーが出された時には驚いた。(2枚目の写真)


 もしもインドで西洋カレーが出されて、本家のカレーはおいしいなぁと思うようでは、本来の文化や歴史を見落としてしまっている。
 日本の回転寿司にも、アボカドを使った西洋アレンジの巻物は普通に供されるようになった。ハンバーグ寿司なるものも今や回転寿司の定番だ。すでに「和食」や「国民食」の定義は曖昧なままになってしまっている。
 だから本来の「和食」を世界に発信しようと、世界無形遺産への登録の機運となったのだろう。本来の文化や歴史を見落とさぬための、良い手段であると思う。一方で文化は変わるものだし歴史は今もつくられている。アボカド巻きもインドの西洋カレーも、無下に否定する必要はないけれど。