感想/ウルグアイの、日本のコメ | BLOGkayaki1

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読書記録、環境問題について



 本件、ブログ2「【ETV】ウルグアイ・コシヒカリ・ラウンド」の転載です。


・ETV特集「地球の裏側で“コシヒカリ”が実る」を観ました。
 面白かったです。
 気になった点は、以下、箇条書きで。

・世界進出を果たした「スシ」だが、いままでは
 中粒米などのパサパサしたお米が使われていたのか。
 ひょっとしたらそれで寿司など日本食を勘違いされたり、
 日本食嫌いを生みだしているとしたら由々しき事態だ。

・アメリカでおいしいコシヒカリがたくさん作られている。
 アメリカで、おいしい日本食が食べられるという恩恵を
 もたらしめた日本人や日系人の努力に脱帽。

・アメリカで効率優先で作られた安いコメが
 自由貿易化で日本に入って来ると日本の農業は打撃だと
 言うのは然りだ。しかしアメリカのコメも 日本と同じくらい
 手間暇と高度な技術が使われて初めて収穫されているのだとわかると、
 アメリカのコメもちょっとは食べてみたいものだ。

・ウルグアイで作られたコメが、台湾にめでたく出荷となった。
 台湾もコメが主産業だ、わざわざ日本のコメを、しかもわざわざ
 ウルグアイから持ってくるなんて、という抗議運動が
 起きそうな気がするが、さてどう折り合いをつけようか。

・日本から台湾へコメを輸出するよりも、ウルグアイから台湾へ
 輸出した方が安いとは驚きだ。それは生産コストのみならず、
 輸送コストが比較にならないくらい安いという。
 その理由については大いに驚かされた、なるほどなぁ。

・中国や台湾から工業製品を大量に輸出する。
 しかし持って帰るものが少ない。輸入量が少ない。
 工業製品を大量に詰め込んだコンテナ船は、時に手ぶらで
 帰って来るのだと言う。だから帰りの便は安い。
 そういえば、行きはナイルパーチを詰め込んだ飛行機は、
 帰りに別のものを詰め込んできたという映画があったなぁ。

・日本の農学は、農学部にいたときから「農学栄えて農業滅ぶ」
 という言葉を聴いてきたくらい、農業に貢献できていない。
 そもそも、米が余って減反までしている国に
 ミラクルライスなんていらない。だが世界的に見れば
 食糧危機はもうすでに起きており、ミラクルライスの開発が急がれている。

・ブラジルでも日本食ブームは高まり、日本の高品質米の需要は
 増えているという。だが、関税によって日本米の輸入が阻まれている。
 なんてことだ、自国のコメ生産を守るためにコメの関税を
 かけているというのに、それによって米輸出が阻まれているとは。

・ウルグアイで生産すれば、ウルグアイと貿易協定を結んでいる国々に
 無関税及び低い関税で米を輸出することが出来る。
 日本がコメの関税にこだわっている間に、米の輸出ビジネスが
 他国によって抑えられてしまうことを考えると末恐ろしい。

・だから今すぐに関税撤廃をセよというわけではなく、土壌整備が必要。
 たくさん輸出できるくらいコメの生産量を増やす(規制緩和する)ことで
 余剰生産米を「確保」したところで撤廃していけばよいのではないか。
 ただしそのためには日本米の高品質、ブランド化を確立させておかねば。

・日本のお米が、低質化しているという。なんてことだ。
 確かにコンビニや外食産業のお米は、「国産米」は謳っているけれども、
 古米だったり高品質からあぶれたコメを安く仕入れて使っている。
 国産だからいいというわけではない、一つの事例なのだろう。

・日本のお米が低質化しているというのは、今後のコメ輸出を考える上では
 あまりにもマイナスなのはもちろんのこと、味覚に対する
 日本人の感性が変化(もしくは「劣化」)していくという
 おぞましき文化的廃頽が待ちうけている。非常に問題だ。
 あと、外国人観光客の方が舌が肥えていて、何だ本場の食はこんなものかと
 思われてしまっては、観光業としても大打撃ではないか。

・日本の高品質なコメを生産し続けていくために出来ることは何であろうか。
 美味いコメを食べること、だから美味いコメを選んで買うことだ。
 美味ければ2倍くらい高くったて買うといい。どうせコメ消費量は昔と比べて
 半減したんだ、ならば2倍くらい値が張るお米を買っても差し支えない。



※元記事および番組内容は、「ウルグアイ・ラウンド」と何も関係ありません。
 だからブログ2の題を改めた上で転載した次第です。

※日本のコメ以外のコメはまずいのか。日本人からすれば、まずいですよね。
 この間の中国の機内食はまずかった。実にパサパサした米だった。
 しかし逆に言うと、粘り気の無いコメはチャーハンにすると美味しい。
 日本のコメでチャーハンなんて作れない。日本のコメ以外のコメも、
 各地域の食文化に必要だから、各地域で作り続けられるべきである。