考察/いつまでも あると思ふな ふるさとは(後編) | BLOGkayaki1

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読書記録、環境問題について


 ところかわって欧州、フランス西部のリテージュという町では、「農村起業フェア」なるものを催しているようです。いや、それくらいなら日本の自治体だって頑張っているのを見かけます。
 もっと凄いのは、「就農」だけではなくて、新規参入事業やベンチャーなどもどんどん呼び込んで、そしてサポート体制の充実、さらには参入仲間が繋がりあえる仕組みが整っている、ということです。具体的には、寄り合いどころのカフェなんかを作ったり、企業情報を発信するにとどまらず暮らしぶりやノウハウを教える小さなテレビ局を作っている、という感じです。
 新規参入。感心したのはパソコンのサービス店を開くというアイデアでした。一見、農村に必要なのかね、などと思うのは頭の硬さを示すものかは。農村と都市をつなぐ初めの一歩は情報だ。農村の様子を発信するには今やパソコンが欠かせない。…というのは付け足しの理由で、もっと重要なことは、これ自体が若者向けのサービスが中心である、と言うことだ。つまり、若者を呼び寄せるには若者が必要とする店が欲しい。イコール、コンビニなどと言わないで欲しい。地域の人々と話を気軽にし合えるカフェや食堂のような寄り合いどころの店、本屋や映画館、アトリエなどのような文化発信施設。そういうのが欲しいのです。コンビニが欲しいと言うような人間は、多分に農村へは来ないと思いますよ。少なくとも自然の中で暮らせないでしょう。
 イタリアでは、「スローシティ宣言」なるものを掲げた町や地域があることは日本でも結構有名ですが、それは何も、昔ながらの生活に「固執」するわけではないのです。トスカーナ地方のチルタルドという町は、「絶滅危惧野菜」の赤玉葱を主力生産品にしようと、頑張っておいでです。欧州統一で、より安い玉葱が市場を支配するようになり、普通の玉葱生産がままならない状況になっているから、地域独自の野菜を、食文化を、特産品を持って町の個性を伸ばそうという取り組みは実に面白いです。
 そうか、「スローシティ」の意味は、普通都会に抱くイメージとは違いますよ、と。我々独自の生き方をしますよ、というところなのやもしれません。単にのんびりとする意味ではないのです。時代の変化に即して、刷新していく様は寧ろ、最先端を「走って」いるように思われます。

 今、農村が地域活性化ならびに新規参入者を求めるならば、地域もまた新しいものに変わっていかなければならない。
 逆に、都会にいて田舎暮らしを夢見るものは、ただ夢を見るだけではなしに、その実情とか事例というものを知る必要が在るようです。それでも手を拱いている理由の一つに、「田舎はいつ帰っても存在する」という考えがあるからだ、ということを、「日曜フォーラム」でパネリストの方が指摘されておりました。そうこうしているうちにやはり手を拱いている農村は、そのうち消滅の道を辿るやも知れません。そう、逆の意味でも、地域の変化は確実に起こっているわけです。
 変わる地域、変わらねばならない地域、変わらざるを得ない地域。いろいろあれど、兎に角中山間地域の問題を考えるときに、「いつまでも あると思うな ふるさとは」ということを意識せねばならないようです。

 若者を農村に呼ぶための諸問題。それは単に後継問題とか街づくりのための開発とか、そういった話に留まらず、地域独自の食などの文化発信や、都会とはまた異なる「寄り合い経済」の構築、グリーンツーリズムや農泊といった地域の資産や産業を活かした観光事業などなどの話にまで及びます。そしていつしか、「生き方」の問題に達するものだと思います。
 「生き方」としての一つの提案。提案としての、農村。そういうアプローチなんてのが、今の若い人たちの要望にマッチングしているのやも知れません。



【 おまけ。】

 学生時代に農山村ボランティアの活動をしておりました。
 その時の過去の記事(ブログ2)は以下の通り。

  セミナー「ボランティア活動と地域資源管理」・学生ボランティアについて
  横尾棚田ボランティア(1) 稲刈り編
  国府町草刈ボランティア(前編)

 また、観光問題と地域の魅力についての講演会に参加したときの記録は以下。

  城下町鳥取の景観フォーラム
  環境サミット「次代」in高砂屋