考察/米の話 | BLOGkayaki1

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読書記録、環境問題について


【1】

 今年2007年。2つの国のニュースが、その都度テレビで報じられていた。
 メキシコでは、トウモロコシの価格高騰により、「主食」であるトルティージャの価格も高騰したといって、市民がデモ行進をする事態が起きた。
 イタリアでは、そのトウモロコシが高く売れるブームに乗って、小麦から転作するという流れが起きた中で小麦粉の価格高騰が起きて、「主食」であるパスタの高騰となり、やはりデモが起きた。
 これを日本に当てはめてみれば、戦後間もない頃の「米よこせ運動」であろうか。米もまた、日本の「主食」である。

 米の問題を、感情論で語るなかれとよく諭す経済学者や政治学者がいる。それは勿論大事なことだ。でなければ科学的な検証が出来なくなってしまう。
 しかし生産者や消費者にとっての生活が懸かっているんだ、感情的になるのは万国共通だった。


【2】

 台湾のスーパーに並ぶ、世界各国のお米。
 中国に先にしてやられた登録商標「越光」。アメリカのカリフォルニア産の「Koshihikari」。
 そして日本の、「新潟産米」。
 何時しか日本も、このような時代となってしまうのだろうか。生産者にとっては、実に驚異的なことだ。
 しかしながら消費者の立場である自分は、陳列される世界各国の米に興味があるし、そうなったほうが面白いようにも思える。

 さてそういえば、台湾もまたお米の「文化」を持つ国であるが、台湾のお米は無いのか。
 台湾固有のお米はおろか、台湾産の米はどうした。いや、あるにはあるのだが。実はある国に流れようとしているらしい。

 それにしても、台湾の中山間地域の現状を見たときは、寒気がした。
 何時しか日本も…ということになりかねない。いや、もうすでになっているのだろうか?


【3】

 14,15日と2日連続で放送された、「NHKスペシャル」、「ライスショック~あなたの主食は誰が作る~」を観て、世界のグローバリゼーションがいやおうも無く怒涛のように押し寄せてきているのには、甚だ驚かされた。
 かといって、ここで反国際化を訴える、というのもナンセンスだ。国粋主義者みたいで嫌じゃないか。けれども世界の反グローバル運動は、世界各国の人たちが集まってサミット会場周辺で起こしているのを見ると、どうも「国粋」とは縁遠い、別物の主義であるらしい。
 どうやら、真のグローバリゼーションとは、モノやカネが世界を駆け巡るのではなくて、ヒトや知が世界を回ることなのではないだろうか、と思った。

 日本の食料自給率は、39%(2006年、カロリーベース)。
 ということは61%の食べ物は、世界各国から旅をしてやってきた。そう思えたら、何だか楽しい。
 でもそのウラで、熾烈な価格競争や効率至上主義が渦巻いているのだとしたら、何だか恐ろしいではないか。
 そしてその「効率化」の中で、今日本の米は高級志向の中国や台湾の富裕層に流れていき、安い中国・台湾産の米が日本に入ってきている。
 けれども動くのは依然として、金や物ばかり。
 国際化社会といわれる中で、周囲に国際的な印象を見受けなかったり、英語が喋れないままなのは、人間自身は自分の国に留まってしまっているからだ。そう思う。


【4】

 今回の特集は、実に面白かったのだけれどもその一方で、「文化」的な価値を前に出しすぎたのではないか、とも思えた。
 勿論、その「文化的価値」については、自分は重々分かっているつもりであるから、言っていることは良く分かるのだ。
 けれどもその価値についての詳細な説明は無く、ただただ「日本人の心」に訴えかけるだけ、のような気がした。物事を全て理論づけるのもいかがなものかとは思うけれども、やはりこれは理論的ではない。

 もっと、環境の側面で話をしてもいいのではないか、と思うのだ。
 例えばアメリカのような集約的農場では、地下水の枯渇や塩害、連作障害や残留農薬などの問題がよく指摘されている。
 けれども「幸いなことに」、環境に適した優れた農業であるから、塩害や連作などの心配は要らないのであるまいか、という考え方も出来るが。
 また、アメリカ本来の景観が失われた、という声も、こちらには聞こえてこないが現地では上がっているのではなかろうかと思われる。「小麦文化」の景観が一部の土地では消え失せているのもまた事実だろうから。

 さらには、昨今のバイオマスブームがあるから、いつアメリカの米農家がトウモロコシに転作するか分かるものではない。
 世界中で起きている「日本食ブーム」の、ブームの火が消えたときに、大規模農家が米の作付けを中止したら、将来それに依存することになりそうな日本はどうなるであろうか。どうせ日本も、日本食ブームの終焉に落ち着く、というのも笑えない。
 この大規模農家の「気まぐれ」を考えると、確かに「主食」の外国依存は怖いところがある。やはり米はある程度、国内で作ることができるよう力を温存する必要性はありそうだ。

 けれども一番嫌な話の展開は、国家の安全保障に関する、という説を唱えられることだ。
 番組では、「識者」が今後のコメ流通についての意見を述べていたが、米輸入自由化に賛成する方も反対する方も、終始国家の安全保障問題に言及していたのは、なんだか奇異にも感じられるし、また滑稽でもある。
 要するに、どう転がっても日本の安全保障は危うい、ということなのでしょう?


 米の話は奥深い。そして取り留めもなく続く。
 これからも注視していかねば。