新しく書いたものを箱にしまうと、押し入れの奥へ押し込んだ。
もう書かまい。もう、読み返しもしまい。
いつ迎えが来るやもしれぬ日々である。
私に未来、というものはないのだ。



「ねえおかあさん」

お春はかまどの火に薪をくべながら訊いた。
母は火にかけられた汁に味噌を混ぜる。

「なあに」

「一之介さんって、どうしてここに来たの?」

「人様のことに首突っ込まないの」

「でも……」

お春は口ごもる。
なんとなく、彼女は気づいていたのかもしれない。
一之介の不思議な姿に惹かれていることに。
あの、遠くを見るような瞳に。寂しげな横顔に。
母は察したかのように、尋ねる。

「あの縁談はどうなったの?」

母の言う縁談とは、 商人の息子さんとの縁談だった。
優しくて、仕事熱心で、評判のいい人だ。
でもどこか違うとお春は感じていた。
一之介に感じるような胸を焦がす痛みもなければ、そわそわして唇をかんだりすることもない。
このかんざしがあの人は好きだろうか。
この帯を合わせてみようか。
たいていその努力も空振りしてしまう。
お春は、彼の心に誰かがいる気がしていた。

ひょっこり現れたのだから、いついなくなるやもしれない。
だから少しでもお春は自分を見て欲しかったのかもしれない。
母にこのことを言った覚えはないけれども、すでに気づかれているような気がしていた。

「もうご飯も炊けたから、一之介さんを呼んでくるね」

「よろしく。器についでおくから、行くついでに熾を移しておいて」

お春は囲炉裏に火箸で掻き出した、かまどの奥の真っ赤な熾を移した。
額に薄く浮いた汗を手の甲で拭う。

冷たい廊下を歩いて、一之介の部屋の前に腰を下ろした。
障子に向かって言う。

「ご飯の用意ができました」

「分かりました。すぐ行きます」

さっと向こうで立ち上がる音が聞こえた。
すぐに障子が開く。
お春も立ち上がり、一之介の後を付いていく。

広い背中。がっしりとしているわけではないのに、頼りないわけでもない。
背は少し高い。
背伸びをしなくてはきっと……。
そこまで思って、お春は首を振った。

何てことをかんがえていたのだろう。
頬が燃えるように熱い。

母が帰ってきた頃に降り始めた雪は本降りへと変わっていた。
一之介は立ち止まる。

「お母さんの火鉢の火は大丈夫でしょうか? 今日は冷えますから私の部屋のものも持っていった方がいいでしょうか?」

「では火を見てから行きますね。持ってきてほしいかも訊いてきます。一之介さんはお先に食べていてください」

「いいんですか?」

「ええ」

お春は笑顔で言った。それにつられて一之介も笑顔になる。

「じゃあお願いしますね」

はい、と返事をしたお春はお祖母ちゃんの部屋へ入った。火鉢の火は少し小さかった。一度かまどか囲炉裏の熾を取りに行かなくてはいけない。

「お祖母ちゃん、もうひとつ火鉢は要りますか」

「ああ、あるとありがたいね」

「すぐに持ってきますね」

お春は自分の部屋に行き、机の横にある火鉢を抱えた。
灰の入った壺は冷たい。指先がかじかむ。

お祖母ちゃんの部屋につき、それをおろすと大きなため息をつく。

「あらあら重かったでしょう。無理させたわね」

「いいえ。大丈夫ですよ。いつも井戸から水を運んできているんですから」

そう、それはお春の朝の日課だった。
朝一番に井戸から水を汲み上げ、水瓶に運び入れる。そのあとかまどに火を入れた。
冬の間はそれが反対になることも多かった。

「お春は力持ちだねえ」

「でも女の子らしくないと言われますよ」

「女の子らしいよお。今日の帯やかんざしだって着物によおく似合ってるよ」

「ありがとう、お祖母ちゃん。火を持ってきますね」

お春は部屋を出た。
お祖母ちゃんはああやって元気なフリをする。
お祖母ちゃんだって、いついなくなるやもしれない。
でもそれが人の定めでもあったろう。
お祖母ちゃんはお春よりずっとたくさんのことを知っているはずだ。
お春が父親を失ってから、誰かの死を、喪失を恐れて生きていることさえも。