できない の中身 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

昨年…2013年初秋の頃。

自ら作り出す仮想の世界で現実を縛ろうとするような不毛な考え方に生きる世界はもうゴメン、と思った時があって。
以後、徐々に、いろんなことをやめたり、やめる準備を具体的に始めたり、転換するために違うものを見るようにしたり…っていうのを、続けてきた。


とりわけ…

できるんだけど、したくないことを「できない」と言い換えるのをやめてきた。

自分基準に満たないから、という理由の時も、「できない」とはできるだけ言わず、基準に満たないからしたくない、と、明確にするようにして。


人に言うより、自問自答する方がずっと多いけども、「本当に出来ない」と「気持ちが、したくない」を区別する訓練になってる…なったと思う。


不可能、という本来の「できない」なのか。

拒否、という、結果的に「できない」になるしかないからそうなってるのか。



ここの差は、大きい。

これは、実際に差が開いてきてからやっと、どれほどに大きな違いがあるのかを実感するようになった。



背が低いから、どんなに背伸びしたって、書店の一番上の棚から目当ての本が取れない。
これは、本来の「不可能」による、「できない」だ。

横に踏み台があるんだけど、上に乗るの恐いしイヤ…だから、書店の一番上の棚から目当ての本が取れない。
これが、「拒否」による、そうしている「できない」だ。


思考や言葉で使う単語としては同じ「できない」でも、内容が全く違う。
けれど、「できない」としか思わないし発音しないでいると、どう「できない」のか、わからないままで過ぎていく。



せめて、自分の足を止めているものが何なのか…くらい、しっかり検分してみても、いいんじゃあるまいか。