2013年末のまとめ | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

絵を描くスタンス…の記事を書き直さねばならないのです。


そういう、ほぼ全面的に書き直す時に悩むのが、「前バージョンに注釈つけてそのまま置いとくか、ばっさりいくか」ってところ。


今回は、ばっさりいくことにしました。

そういうことで、現在、「はじめての方へ」テーマの中の記事を、全部下げてあります。
ちょろっと見直したら、「こりゃいかん」と思ってしまいました。


自分がやりたいことも、やろうとしてることも、心構えも、今年のスタート時点とは、全然違ってきています。
ことに、夏以降の変遷が激しかったですね。





現在の私は、自分が描いてるものが「スピリチュアルな絵」だとも思っていません。

私的感覚で「自分に降りてきてるもの」を描いてるのは、確かにそうなんですが、絵描きはみんなそうだから。

っていうか、絵描きだとか芸術に限らず、老若男女、全て、そうです。

合ってるチャンネルが違ったり、合わせられるチャンネルが多かったり…という違いはあるにせよ、何かにチャンネルが合ってることは、みんな、一緒。
そして、どういうカタチでそれを送り出すか、っていうのが、それぞれ違うだけ。


今までもそう思っていたけども、表現としてわかりやすいかな~と思って「スピリチュアルな絵」っていう表現を使っていました。

…なんだけどね。
めんどくさくなってきちゃって(笑)


どうでもええやん、そんな区分。

絵っていうのは、100%、受取手のものです。
見てくれた方がどう感じるか、どう思うか、何をそこに見るか…というのは、完全に、見る側に委ねられるもの。

描き手には、ただ送り出す…というところまでしか、できません。

エネルギーが高いの低いの、御魂がどうこう、言ったところでね。
見てくださる側の波長が、そう捉えるかどうか、ってのは、送り出す側には全く制御できないこと。

一応、自分が描いてる相手先…まあ、モデルですかね。
それは想定しているから、この絵は○○神を描きました、ということは言いますけども。
別に、見る人が全然違うものを見たっていいわけです。

なんやらの御魂が入ってる…とか、高次元のエネルギーを転写してます…とか。

もちろん、自分的想定は、そういうのも、していますけども。

それも含めて、受け取り側が、どう感じるか、っていうのが、全て。


こちらからの説明は、私の感覚を…描く側としての感覚をお伝えする、という以上のものではありません。


同じ絵を見て、何かスイッチが入る人もいれば、一顧だにしない人もいる。

そういうもん。



伝えたいことも伝えないで丸投げする、っていうのではありません。
こちらが伝えたいことは、できる限りの手段を使って伝えたいと思います。
そのために描くのだしね。

見る側が、どこを取るか、っていうのは、委ねる…ということです。




絵描きとしての目標、アヤシイことに関わるハメになってるらしい人間としての目標、っていうのは、あります。

今年一年で、それは、去年の今頃持ってたものとは、大きく様変わりしました。


今もまだ、策にはめられた感はしょっちゅう感じるのだけども、前のようにイヤイヤやってる感覚は、今はありません。
ものすごく操作されてる感覚が強かった頃は、何が起こっても腹が立ってました。
でも、やることは、やる。

今は、どうせやるなら楽しくケンカしながら楽しくやろう、と思ってます。



また、「対価」というものについて、ものすごく考えてきました。
けれど、今はもう、それについても、気にしない~っていうところに落ち着いてます。

考えないようにする、というのではないです。

考えてはいるけど、だからそれがどうした?という感じですね。


その感覚は、結局、何を払わされるのだろうか、という恐れでしかない。

人間の持ち時間には、限りがある。
それも、そんなに余裕のない限りが。

その中でどれくらいのことができるか…ということを考えた時、恐れてやらないでおくことが多かったら、それは損失でしかない、と思う。
思うようになった。



そういう感覚が脊髄に通った感じになった頃に、第三の先生が登場しましてね。

いつもながら、そのタイミングの絶妙さには、ほんとに、参ります(笑)

完全に、100%、疑う余地もなく、スサおっちゃんの陰謀による回し者ですが
(今回は、最初から、それは嗅ぎ分けてた感ありますね~)

ここから、観念の世界を整えるフェーズが終わり、現実の世界を動かしていくフェーズに入りました。
今はまだその序の口で、ぐっと動きが見えてくるのは、年明けですね。


今回の先生は、お互いが先生…っていうか、お互いが師匠…みたいなところがあるから、それも面白い(笑)

まあ、私の方が圧倒的に弟子側の立場なんですけども。

後ろの髭のおっさん、ここに持ってくるために今まで整地してきたのかな~という感じがしております。

たぶん、ご縁の時期が半年前だったら、私はその第三の先生を全力拒否ってたと思います(笑)
まだまだ、どこかで「そこそこ適当にやってられたらいい」という感覚があったな…と今ならわかるから。
その時期に出会っていても、受け入れ不可だったね。
間違いない。



印象でいくと、第一の先生は「幽玄」で、第二の先生は「虚実」。
そして、第三の先生は「実装」

第二の先生の印象を描いた絵を載せた記事に「虚の世界 実の世界」というタイトルをつけたことを思い出しますね。
まだ、そんな意識は全くなかった頃の話ですけども…未来が過去に影響するという典型例かも知れません。






でもって、現実の世界でも、今年は大きな変動が発生しています。

だって、去年の今頃は、鳴意夢庵という物件は影も形もなかったのですから(笑)
この建物は、一年前はまだ、ただ主が出てしまった箱でした。
私は、工房がなくて何となく定まらない感じでした。
(工房ってのは必須なものではないですが、私には「在った方が望ましい」ものなのです)


2013年の年明けから程なくして、ダンナ経由で出現したこの物件。
あれよあれよといううちに、入ることが決まりました。

当初はもう少しレンタルスペースとして広くアピールして…みたいにも思っていたけど、今は、あまりそれも考えてません。

ご縁のある方に、ご縁のあるタイミングで使ってもらったらいいし、普段は私が仕事する場所・これからはコミュニティの受け皿になっていくものとして、存在してくれたらいい。

その感覚の変遷が目に見えたことが、つい最近起こりました。
とある業者さんが、鳴意夢庵を定期的に利用したいと打診してきてくれたのです。
最初はお受けしようかと思っていたのだけども…結局は、お断りしました。
今、私がこの「箱」をどのように考えているのか、という、よい再確認の機会になりました。

もうね、ここは、「商材」ではないのです。
ここの屋魂さん…どんな方が私はわからないけども。
出入りのための、何かの基準が、はっきりと、そこに存在しているような感じはします。


鳴意夢庵という名称は、全く別の発想から「屋号つけといた方がいいかな」と思って、まさにそのタイミングでそっち系メニューを告知された、うちのブログではお馴染みの奄海るか先生にお願いしたものです。
候補を出してもらい、最終的に自分で選定しました。

そのセッションを受ける数日前に、この物件の情報が私の手元に舞い込んできてね~。

屋号というものが、いきなり、本当に必要になった…と(笑)


笑うよ、ホント。




交友関係にも大きな変動がありましたね~。
細く細く、けどなぜか切れないでいる方…っていうのが、けっこう不思議な配置でいらっしゃるんですけども。
その配置の加減も、いろいろと変わりました。

一時は強力だった関係の人とあっけなく途切れたり。

途切れてた人が、また近くなってきたり。

人のご縁というのは、自分の位置からだけ見たら、本当に不思議です。
けれど、視点を大きな場に移してみると、その軌跡がどんな模様を描いているのか、っていうのは、案外、見えてくる。


個々で一つの図柄を描いていく時期というのは、もうほぼ終わりに近づいているね。

個の図柄をきちんと描けるようになってる同士が、共同で、その図柄をパターンの中に織り込んでもっと大きな連続した図柄を織り上げていく…っていうのが、これからの流れだと思います。


一時期とても密になり、ほどなく分離する…という人間関係が、定期的に登場する。
それは、「色替え」とか「糸の種類替え」とかのタイミングなんだろうな~。


お互いの色や材質を持ち寄って、新しい糸を撚る。
それが終わると、離れる。


うまくできてます。




神様つながりの人と話すと関西弁になるのは、相変わらずだなあ…。
なんでやねんな。

最近じゃ、生粋の愛知県民ですって言うと驚かれる始末やし(笑)

わざとやってるんとちゃいますからね。




2013年、あと2日半。
星読みの人に教えてもらったところによると、私の2014年は、秋頃までは「人生の事業仕分け」の時期なんだとか。

すでに、かなり大きな仕分けがされてきてますけど。
ここから、もっと、そうなるわけ…かな。

この記事→★★★読むと、もう、ホント、笑うしかない。
どういう計画なんだろね~。

とにかく、何事も、深刻にならず真剣に、楽しんでやっていく…っていうことだけですね。



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