つれづれ | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

午後から寝倒した感がありますが、まだ足りないので、この後お風呂はいって、とっとと寝ます。

ゴハン作る時間だからってことで起きなかったら、たぶん明日の朝まで寝てました。



まあね、なんか、こういう感じの時って、時々あるんだけど。
たいてい、何かがすぐソコまで接近してきてる時なんだよね。

それか、通り過ぎた後か。

今回は通り過ぎた後ってのもありつつ、次がすぐ来てるのもありつつ…ってところでしょう。




私は何でもスピ現象に結びつけるのは好きじゃないという以上にバカらしいと思ってしまうけども。

一般論としてあり得ないから「そんなことは無い」とか、

事例を知らないから「そんなことは無い」とか、

自分のこととして理解できないから「そんなことは無い」とか、

実証できないから「そんなことは無い」とか、


…そういう風には、思わないわけです。


あり得ないなんて、あり得ない…と(笑)

矛盾してるけども、でも、そうなんだよね。



あり得ないように思えることを否定した方がラクチンだから、否定したい気持ちになることは、確かにある。

だけど、実際に、この世界って、どんなことでも起こり得るので。


自分が「想定できること」が、どれほどに狭い狭い世界なのか、っていうこと…「狭いんだよ」ということだけは、すごくよくわかっているので。

そこからはみ出ていることを「あり得ない」と、ちゃっちゃと片付ける…というのは、私のような、想定外のことが起きて欲しいヤツには、もったいないのだよね。


そうなの。
想定外のことを、見たいのですよ。

天地がひっくり返る…みたいな感覚を、ここまでの人生で滅多と感じてこなかったから。
それを、ものすごい、楽しみにしている面があるの。

だから、むしろ、「あり得ない」ようなことを、見てみたい。



なのに、ちゃっちゃと「そんなん、無いわ」と片付けるなんて、もったいない。





前に、遊びのことを書いた。

前に、余裕がないことを「遊びがない」って言ったらキレられた…って書いた。
その時の相手の人とは今、もう完全に、交流も接点もない。
どうしているのか…っていうのは、狭い世界にいる同士だから、チラっと漏れ聞こえてくることもある…っていう程度。


その人も、ある意味私とは対極的な「ものの考え方」をしている人で。
非常に、真面目で、物事をきっちりとやりたい…という美点のある人で。
きっちりやりたい一方で、馴染みのない考え方なども一生懸命、受け取ってみようとする意識のある人で。

ただ、余裕がなかった。



私は、いろんなことがきっちりとはできないヤツで、いろいろとルーズで、勝手に緩くしているところなんかも多々あって、生真面目な人から見ると許せないところがたくさんあるらしく。
過去に、非常に強い叱責を受けた時も、焦点は主にそういうところで。

でも、叱責を受けても、私には、その方のおっしゃってることってのは…「はあ、おっしゃる意味はわかりますが、私の価値観はそこにはないんで」って、思ってしまうような感じで。

私はその時、その方が焦点を当てているところに、その方の痛みを感じた。



「遊びがない」の件でブチ切れた時の方は、私がそこにツッコミを入れたことについて、そこに、私の痛みを感じたと言った。



みんな、そうやって、勝手に、自分の何かを投影しあっている。


本人にとっては「はぁ?」なことも、それを思う側には、「気づいてない」という風にしか見えない。


本当に、そこに価値観が全くなくて、無意味にしか感じない…という時でも、「あなたの痛みを感じた」という人には、そこに痛みは「在る」わけで。

「私がそう言うんだから、そうなの」

っていうヤツだ。



世界は、そんな風ににして、思い違いと勘違いと履き違いで、成り立っている。



自分のことすら、把握できてないのに。

人のことなんか。



なのに、つい。
わかる気になる。


「その気になってる」だけなのに。



もちろん、時には本当に言い当てていることもある。

けれど、それが度々重なっているからって、「全てがそう」と思い込むのは、早い。

いつなら早くないか…って言うと。

「永久に」




ここんとこ、すごく考えていたことの一端が、少し、見えてきたような気がしている本日。

「気がしている」だけで、人のことなんか、永遠に、「気がしている」だけにすぎない。


自分のことだって、はっきり確定できることが、どれほどあるのか。


人を「サンプル」扱いするのは、すごいイヤがる人が実際にいたから、それならちょっと控えようかな、って思ったこともあるけども。

けど、この世の全ては、最終的には、どれもこれもサンプルなんだよねえ。
私には。


そのサンプルを使って、何を追求しているのか…っていったら。
自分は、なんだろう。
人って、なんだろう。
世界って、なんだろう。

そんな、曖昧模糊とした、何も確定のできない、常に移り変わるもの。



ポッドに入って数秒…全ての傷病が完治、再生できる装置。
そんなものが存在する世界は……

幸せな世界なのかなあ…

病苦の消失というのは、そりゃあ、夢のような素晴らしさだろうけれども。


果たして、それで、人類という種は、幸福になるのだろうか。





あかん…ぼやーっとして、まとまらん。


とっとと寝ます。