打ち止めの概念 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

あるものを見て、なんか…「なるほど~」って、思ったことがある。
同じことに、何回も、違うカタチで、連続で遭遇した。


「幸せ」とか「満足」とか。
そういう概念について。


なんかね。
自分を、幸せと思いにくいとか、満足と感じにくいとか。

その傾向の一つの中に、

「それを思ったら(感じたら)そこまでだ」

っていう感覚がある…みたいなだな……と。



今を幸せ、満足と「認識」しちゃったら、それ以上はもう、打ち止め。
それは、イヤ。
だから、今が幸せだったり、満足であっては、困る。


なんか…自ら、遠ざけてる感じ。



わかるけどね。
私も、昔はそういう傾向が高かった口だから。


だけど…今が幸せだったり、満足だったりしてても、次の瞬間には「今とは違ったこと」が入ってくるから。
同じことっていうのは、ずっと続くことはないから。

ずっと同じことが続いてるって思っている人は、同じことが続くように動いている。
状況は刻々と変わっているのに、その中から「同じこと」だけを見ていたり…ね。


今を幸せ、満足と認定したら最後…みたいな感覚を持っていると、ずっと、幸せとか満足は得られないと思うよ。

だから、「失って初めて気づく」ってことになるんだと、思う。



常に、幸せだったり、満足だったりしていて、次の時にはまた、違った面で幸せや満足を感じられる…そういう「仕組み」に、自分を作って行く…っていうのが、やっぱり、大事だと思うのだなあ。


漫然と幸せ、漫然と満足…っていうのを、どれだけ、ちゃんと感じるか。



「打ち止め」という感覚がある…というのは、あらゆることに影響を及ぼすと思います。

幸せとか満足ということ以外にも。