はい、この件については、この記事で終わる予定。
他にもいろいろあるんで~。
前の二記事に載せた、「外からこのように見える…という一視点」としての物語。
それを作ってもらうお願いをした経緯。
よく、スピ世界や、そうでなくても「本当の自分」とか、そういう系のことを綴っている方がおっしゃっていことに、「知る(識る)ことを手放し、起こるに任せる」というのが、ある。
その方達がおっしゃっている意味で理解しているかどうか、というのは、私には何とも言えない(なんせ自分主観でしかわかんない話だから)けれど…概念としては全く理解できないという気は、していない。
ごめんね、回りくどい表現で(^_^;)
ただ。
私という人間の本質的な欲求…これは、二次的とか、物事をうまくやりたいがために作ってきたとか、そういう感じじゃないと思うんだけどね。
核の部分に、「知りたい」という欲求が、もうどうしようもなく、織り込まれているのだよね。
それを手放す…それこそが、つまりは「我を捨て、真の我に目覚める」っていうことなのかも知れないんだけど。
いや…だって、それ。
イヤですから。
言ってることはわかるけど。
ってことで。
自分にはできない知覚とか、感覚とか、機能を使っている方…それも、かなり特徴としてレアな人。
そういう方からの視点で自分を見てもらう、というのは、ものすごく刺激があって、機会を見つけたらチャレンジしたくなる。
絵を描くことは、かなりの負荷と表裏一体なので、それが生きるに必須であることは間違いなくとも、手放しで楽しめることとは言えない。
けど、知ること、それを満たす…満たそうとすることは、何の不安もストレスもなく、楽しい。
ワクワクですよ、ワクワク。
多くの方のイメージするワクワクとはかなり違うかも知れないけど、これが、私のワクワク。
で。
最初にお断りしときますが。
過去生(多次元生)は、私は「在る」という前提で生きています。
確かに体感的に、そうとしかいいようのない感覚とか、あったりするし。
けどね。
私には、そのことは、特別なことではなく、重要度も、他のいろんな現実のことと横並びになった「一要素」にすぎません。
むしろ、それに妙に強く引っ張られている…現実的な判断などもそれを起点にしてるような感じの方とお話すると、非常に、かみ合わないとか、居心地悪い感が漂います。
そのこと、ご記憶ください。
「ある物語」は、私には、とても、皮膚感覚のようなもので、「わかる」要素がたくさんありました。
「外からこんな感じに見えるという一視点」ということで。
私も、外から視点に近いもの…カメラを、複数持っているので…そのように見えるということは、わかります。
愚者と隠者のカード画像を記事につけました。
この物語の象徴的な絵は、それかな~と思いました。
隠者(賢者ではない)であって、愚者でもある。
愚者であって、隠者でもある。
一つ、答えを見つけたら、すぐにそこから次の問いが始まる…永久に続く。
タロットは、「世界」で終わるのだけど。
この主人公は、「世界」からまた、愚者として始める。
今回の前に書いていただいた文章に「審判の門」というのが登場した。
愚者=隠者のこの人は、自分の中にそれを持っている。
で…主観の自分として、考えると。
私は、そこまで勤勉ではなく、そうありたいとも思わない…むしろ、テキトーで、目の大きなザル。
けれど…常に私は、あらゆる面が「二律背反」な状態になって、マカロンみたいな構造になってる。
(これをリアルに描写すると、かなり気色悪い絵面になるので割愛)
物語に書かれているほどストイックになれりゃ、まだ、極端のさらに尖端に行ける可能性を感じるけど。
そうなりたいか…っていうと。
…ないかも…(笑)
サブカメラを通して、外側的視点で考えると。
…相田さん、なんでわかったんですか? いつわかったんですか?
的なことになる。
「ズレがある。そのちょっとのズレに意味を持たせてる」
とは、ご本人の談。
相田さんの意図している「意味」を、ちゃんと捉えているのかどうか…っていうのは、ともかくとして。
ズレの部分に、意味がある…というのは。
確かに、そう感じます。
「審判の門」のことも、書きたくなってきたかも…。
あー、なんか、時間が足らない感がバリバリするんですけどーーーーー。
【追記】
以上、書いて、ブログの投稿画面にペーストしようとマイページ開いたら、前の二つの記事をご紹介してくださってました。
ありがとうございます。
→感想ご紹介 構造想定(その人の世界を創るサービス)モニター受けてもらいました。
えっと…図を、もうちょびっとばかし、大きくて文字が読みやすいくらいのサイズで、画像いただけませんでしょうか。
別に悪用しませんから。
なんか、5月に入ってからこっち、見えて来そうで見えてこない…という感覚がずっとあるんだけど。
今検討中のいくつかのことを、どこから先に手をつけるかっていうのを、この数日常に考えてて。
相田さんの図を見てると、これに書き加えたくなる。
私には、「機能として自分を捉えることです」…というのがあって。
しかし、その機能というのは、当然のことながら完全ではない。
霊感とかそっち系は私は乏しいんで、よくわからんのだけど。
というか…それ自体が、「何を指してそう言うか」っていうハナシなのかも知れないんだけど。
とにかく。
私は、この「構造想定」なるものに、非常に興味を持ってます!
もっと他の人のを見たいです!
誰か、これ読んでる人で興味ある人、見てもらって想定してもらっておくんなまし!
プリーズでございます!
それをやっている最中の相田さんの動きとか図を書くところとか、間近で見たいわ~。