人にはそれぞれ、適性というものがあって。
それは、伸びる方向とか、得意なこととか、抜きんでてできることとか、そういう「プラス面」だけじゃなくて。
どんなことに耐えることができるのか、どんなことならどれくらいに耐えることができるのか…と。
そんなことにも、適性があると思うのだよね。
私にやってくるいろんな出来事も、私にはその適性があるから来ることで。
私に、それを経験する意味があるから、来ることで。
で、なんか、そんなことを繰り返していくうちに…
どんどん年齢は積み重なり。
面の皮は厚くなり。
周囲が見えなくても気にならなくなっていき。
結局、最後の瞬間に何を思うか…ということでしかなくて。
そして、それは、その瞬間になるまで、わからないことで。
その瞬間にこういう風に思っていたい…なんてことを目標に生きる、っていうのも、なんかヘンだし。
しまった、ガスの元栓切ったっけ?
と思った次の瞬間に、死んでる…とかね。
そんなこと、普通に起こるだろうな、って思うし。
要するには。
自分がしたいように、したいことをする。
そこに何かの制約がかかった時、その制約によって不可能になる「したいこと」と、その制約を受けて筋を少し変えていく…そうしてでも、制約のかかったことの意味を重視する…のなら。
それを、選ぶ。
そして、その仮定にしたところで…
実際に、その選択肢を突きつけられて直面しなければ、自分がどう感じ、どう振る舞うかなど、わかりゃしない。
よって、考えるのは、ムダ。
唯一、予想予測的な考えをする意味があるとしたら…避難訓練みたいなものですかね。
思考実験とか、シミュレーションとして…ね。
うん。
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