適性 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

人にはそれぞれ、適性というものがあって。
それは、伸びる方向とか、得意なこととか、抜きんでてできることとか、そういう「プラス面」だけじゃなくて。

どんなことに耐えることができるのか、どんなことならどれくらいに耐えることができるのか…と。

そんなことにも、適性があると思うのだよね。



私にやってくるいろんな出来事も、私にはその適性があるから来ることで。
私に、それを経験する意味があるから、来ることで。


で、なんか、そんなことを繰り返していくうちに…
どんどん年齢は積み重なり。
面の皮は厚くなり。
周囲が見えなくても気にならなくなっていき。


結局、最後の瞬間に何を思うか…ということでしかなくて。

そして、それは、その瞬間になるまで、わからないことで。


その瞬間にこういう風に思っていたい…なんてことを目標に生きる、っていうのも、なんかヘンだし。

しまった、ガスの元栓切ったっけ?
と思った次の瞬間に、死んでる…とかね。
そんなこと、普通に起こるだろうな、って思うし。


要するには。

自分がしたいように、したいことをする。

そこに何かの制約がかかった時、その制約によって不可能になる「したいこと」と、その制約を受けて筋を少し変えていく…そうしてでも、制約のかかったことの意味を重視する…のなら。
それを、選ぶ。



そして、その仮定にしたところで…

実際に、その選択肢を突きつけられて直面しなければ、自分がどう感じ、どう振る舞うかなど、わかりゃしない。

よって、考えるのは、ムダ。


唯一、予想予測的な考えをする意味があるとしたら…避難訓練みたいなものですかね。
思考実験とか、シミュレーションとして…ね。

うん。



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