昨夜の悪態つきまくったつぶやきは、引っ込めました。
一夜明け、気分転換、ほぼ完了。
なんか夢見そうだなと思ったけど、それもありませんでした。
ていうか、記憶に残るようなことはなかった…と言う方がいいのかな。
状況は全く変わっておりませんのでね。
これが去年だったら、そんなカンタンに通り抜けはできなかったでしょう。
図太くなってきたもんです。
似た言葉を友人から聞いたから、ダブルで点火してしまいましたけれど。
私自身のことに関しては、もうすでに、OKです。
夜の間に墨入れまでいったほうがよかったんだけど、まあ、今回は仕方ない。
昨日やってたら、邪念入りまくりになるところだったでしょうし(笑)
ツクヨミさまですから…邪念入ったら余計にヤバイですからねえ。
…っていうか、昨日の、私側のヤサグレの原因を作ったのもツクヨミさまだったんですよ。
だから、とてもじゃないけど昨日は無理でしたねえ。
でも。
友人のことはともかく、私に限っては。
己の姿勢というものを、ちょっと、まじめに、矯正せねばならんな…と、思いました。
起こった出来事そのものは別にいいとして。
その後の、自分の反応がね。
これは、アカンやろ…と。
ヤサグレてる時ですら、隅の方では思ってたくらいですから。
私の問題を浮き彫りにするものって、常に、決まってるのですよ。
今回もそこだし。
神仏天使を描くことの抵抗感がどこから来てるか、っていうのが先に見えて来てたのが、まだ、救いです。
それも、ものすごい、しょーもないところから発生してることだった、っていうのが明らかになってますから。
そこにこだわって気持ちよく進められない…というのは、あまりにもアホらしいな、と自分で思うくらいのことでしたんで。
もう一つの、いつも私がひっかかるテーマは、「対価」についてです。
今回、着火原因の割合としては、こちらのテーマの方が大きかった。
けど、それも。
構造が、少しわかってきてるから。
2年前に、似たような状態のことを身近に経験して、その時はもう、本当、あちらの方たちを呪うくらいに感じたものですが。
今はそこも、少し引いて見ていられます。
そうだねえ…その頃の私が昨夜の件を経験したら…。
今書いているこの記事は、「私は以後、このシゴトから手を引きます」っていう内容になってたかも知れないですねえ。
実際、それを何度か言ったこともあるしね。
自分にとっての神、というのは、どういう存在か…と。
それは、本当に、人それぞれで違うなあ…と、思います。
一夜明けた私が今思うことは…以前とは真逆。
こんなことで引いてたまるか。
…と、思う。
少し上方修正でき始めていた未来予想(自分比)…というより、自信、という一点か。
それを、真横から大穴開けられて崩されそうな感覚はありましたけども。
今現在は、それも、大丈夫です。
むしろ違和感センサーが動いてたことを、褒める気持ちです。
動いてなかったら、もっと厳しいことになってましたから。
いずれにしても、やっぱり、ツクヨミさまはキツイことしはります。
スサノオさまとはえらい違いやなあ。
まあ、あの方はむしろ「甘々」かもですけどね…。
こういう風に、鍛えられる…というか…なんというか……。
ま。
今回の事は、これでよし、と。
自分の悩みではないことは、悩みません。
どんなに大事な人の悩みでも。
そして、私は、自分の感知できないエリアから伝聞としていただく「よい未来」「すごい未来」などは、信じません。
それは、変わりません。
自分が本当に、そうなることを目指す気になったことだけ、それを「目標」として旗印にする、っていうくらい。
未来は、永遠に未来でしかない。
今は、今。
自分が生きている座相は、「今この瞬間」です。
【補足】
読み返してみて、ちょっと言葉が足らないなと感じましたので、補足。
「未来の予言は信じない」というのは、それを伝えて下さるメッセンジャーの方を信じない、という意味ではありません。
私は、そういう話は、自分が信頼している方としかしないです。
だから、そういう話が出る時というのは、私が、心から信頼している方と話をしている時に、ほぼ、限られています。
その方が伝えてくれていることは、その時は、「その方から私へ伝える真実(になるであろうこと)」である、と、受け取っています。
それは、今までもそうでした。
ただ。
「言ってもらったことを<よすが>にして夢を見る」ということは、しません。
…と、いう意味です。
聞いた良い未来を、そのまま、必ずそうなるのだと思い込んでいく、ということは、しません。
そこには、私の「正しい選択」や「適正な努力」が、必ず存在します。
それら全てを、私自身が、間違いなく、欠くことなく、滞ることなく、すべてをこなしていくことができれば、その「良き未来」は、手に入るのだろう。
それは、信じます。
そして、それが「私自身には見えない道」である以上、どこかで誤りや手落ちが発生する可能性は、あるわけです。
だから。
必ずそうなるもんだ、と思い込んで、そこに頼り切る、ということは、しません。
そういう意味で、「信じない」と、言ってるのです。