脳プログラミング瞑想? | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

19日の夜に書いた記事。
ちょっと直そうかなと思って下書きにしておいたのだけど、今日、北浜の東洋魔術師さんと話してて、似た話があったので、せっかくだからUP。


結局どこを直そうと思ったのか思い出せなかった(笑)



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音波を使って、脳に特定の刺激を与え…というか、特定の刺激をプログラムに従って与え続けることによって脳の働きを「目的の通りに方向づける」という製品がある。

瞑想用であったり、能力開発のためであったり。


自己啓発系の書籍などに添付されている、自己プログラミング系のCDとか、そういうのは、その類。

非常に長い時間、多くのテーマに沿った内容で、複数の枚数で組み合わされた高額なセット品などもある。


そこまで作り込まれた本格的なものを聴いたことはないが、書籍に添付されているものや、そういう教材として販売されているものを、いくつか、聴いたことがある。

とりあえず、私の「聞き方のクセ」として、音を個別に拾う…というのがあって。
そのせいで?脳に刺激を与える目的をもってわざとズラしてある音同士、それを同時に聴いた時に生むはずの効果…っていうのは、全然、意味がなかった。

まあ、完全に寝落ちしている状態で聴いてる時ってのもあるので、そういう時は、それこそ「無意識領域にインプット」されている…のかも知れないけども。




しかし。

自然に、自分でいろいろと試していったりして、自分の意識と身体がセットになった状態で経験していく瞑想と、そういう人工的な手段で、言ってみれば「強制的に入る」瞑想と…果たして、行く先は同じなのだろうか。



脳は、架空であろうが現実であろうが、区別はできない。
だとしたら、脳にとっては、同じなのかも知れない。



けれど、他の部分…他の細胞たちは、そうじゃない。
彼らは、素直ではあるけれど、ガンコでもあって、ある程度の蓄積がなければ受け付けない仕組みになっている。
…と、感じる。





昔読んだコミックに、似たケースをモチーフとしたエピソードが使われていたことがある。

特殊な音源を混入した人気歌手の曲を「入り口」にして、どんどん、その音源の強度の強いものを求めるようになる視聴者…というもの。

ドラッグ中毒に非常に似た…というか、化学薬品を使わないだけで、仕組み的には同じなのだけども。
行き着く先は、人格破壊と、特殊な目的のためにチューニングされた「人間ロボット」

催眠にかけてジサツさせるとか、犯罪を犯させるという方向にそのモチーフが使われていた他のコミックもあったけど、私が先に読んだのは、10代の最後の方くらいの時期だったから、かなり古い話だ。




そんな、人工的なプログラミングツールを使った瞑想でなくても、私には、集団での瞑想とか、誘導瞑想などに対して、かなり懐疑的なところがある。

だから、余計に、脳刺激系音源を聴いても「入れない」ように自動的に防御しているのだろうな、とも思う。




私は残念ながら、無邪気さと離れて久しいものだから。
根底の、人というものの良さや美しさ、清廉さみたいなものは、信じているのだけども。

そうした、瞑想状態を利用してできること…っていうのを、まず最初に、私利私欲のために用いるケースというものを想像してしまう。

固定概念を外し、お互いの「不要な」境界線を外していき、よい場を作る…という目的には、グループ瞑想はとても有効だし。
恐怖症の快癒などにも、大変、役に立つ…と。
それは、わかっているんだけども。



いわゆる超人的な感覚であるとか、幽体離脱を可能にするとか…なんか、そんな感じのことに、そうした「人工的な脳操作」を用いる…というのって…。

大友克洋の「AKIRA」で能力者に服用させる薬に、限りなく近いもののように思えるのだなあ。





そもそも、幽体離脱とか…そういうことに興味がないから…。
そんなツールを使ってでも、その体験を手に入れたいという気持ちも、よくわからない。

今すでに、なんかよくわからないけど勝手にそういうことができてしまってる…っていう方が、それを自分で制御できるようになるために使ってみる…とかね。
そういうことなら、わかるけども。


批判とか否定というのではなく、「まあ、気ぃつけてやってや~」っていう感じです。