文章と実物と想像と想像 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

ブログを読んで下さっている方と、初めてお会いする…という時。
まず、「思ってた通りの人」というご感想は、聞かないです。

9割9分、イメージと違った、と言われます。


本当に女の人だったんですね…とか(笑)

ちっさいんですね~…とか(笑)(笑)

なにより、一番多いのが、「思ってたよりもコワイ人じゃなかった」というもの。



天使を描いてた頃から、それは、言われていました。
ブログと絵のイメージが違うな…と思ってたけど、本人はまた違った…と。

今は、自分の絵と人格の乖離をあまり感じてない…つまり、絵の方は自分的にも自分らしいものを描いてると思っている。
天使の頃は、その乖離はけっこうしんどかったのですよ。


で。
今は、絵も文章も、どっちも、「コワイ人」イメージを固めてるらしいです。

本人的には、どこらへんがコワイのか、全然わからへんのですが…(^_^;)



今日、お茶中に、「そこまで?!」という事例をお聞きしました。
友人が、その方の知り合いに言われたこと…っていうのをお聞きしたのですけども。

さすがに、なんかそこまで思われてるって、問題あるんとちゃうんか??と思いました(笑)


まあ…人がどういうイメージを持っているか、っていうことは、受け手側に決定権があることなので…。
致し方なし…とは、思うのだけども。


そんでもって、別に、コワイと思われていても私的には特に何も問題はないので、別にいいのだけど。



ただ。
なんで、コワイ、という印象を持っているのか…ということ。
ご自身が、ですよ。

私の印象のどこに、怖さを感じるのか…と。

それを考えてみると、もしかしたら、ご自身の思い癖やら…よくある言葉で言うのなら、ブロックとかね。
そんなものが、どこにどういう風にあるのかっていうことが、ちょっと見えるかもですよ。



私本人は、至って、アホなので。
深い話になることがあれば、それは、お話しているお相手さんとの「共同作業」がそうなった…ということです。

ブログは、自問自答ですから。
自分が投げた言葉を自分が打ち返してる感覚です。

だから、私と私の共同作業を言語のうち、「文章」というツールに置き換えている。

それを読んで下さった方が、どういう印象を持たれるか、どういう風に感じるか…ということは、受け手次第。

どの単語に、どの言い回しに、どの書き方に「コワイ」って思うのか…と。

それは、私にはもう、計り知れない部分になります。

私は、人を怖がらせたいとは思ってないし、コワイ文章を書いてる気は全くないのです。

選ぶ単語がキツイ、とか、言い回しがキツイ、とか…そういうことは、まあ、あるかな~とは、思う。
けれど、これも度々書いているけども、他の単語や表現に置き換える…ということは、限りなく不可能なのです。

これを表現するには、この言い方しかない…と。
それは、自分が自分に対してする場合には、っていう意味ではある。

仮に、誰かに対して呼びかけているような書き方をしてる時でも、その先に想定しているのは、自分自身しかないので。



対面で、人とお話する、という時は、全然違います。
明確にお顔の見える方とお話する時には、その方に向かっての表現になります。
だから、記事に書いていることとは逆のことを言う…なんてことも、あります。

それは、どっちかがウソだ、というようなことでは全然なくて、単に、「その時、その方に対して発する」という前提があるから、選ぶ言葉も表現も、内容も、変わるのです。



世界には地球しかなくて、太陽と月と星が回ってる…って信じている人と、広大な宇宙の中で地球という星が所属している太陽系というのがどんなに辺境か、ということを知ってる人にする話は、違って当然です。
そこで同じ話をする方が、よほど不公平だし失礼だと思うのです。




とはいえ。
別にコワイものを書いてるつもりはないんだけど…っていうのも、私の想像だし。
自分がどういう風に、どう怖がられているのか…ということが全くピンとこないのも、私自身の自己像は「ただのアホなおばちゃん」だとしか思ってないからで、それも想像だし。

どう書いたら、どういう人達にはどう取られるか、とか。
どう書いたら、どう取る人が多いのか、とか。

予測というのも、全ては想像でしかないわけだし。


その想像を、読んで下さる方はみなさん、ご自身の中で更に想像しながら、読まれるのですよね。


想像を想像しながら読んで、内容やら考え方やら…時には真意やらを、想像する…と。



ブログって、そういうものかな、って思います。

発信手段としては素晴らしいのだけども。
これが全て、というわけではない。


私はやっぱり、対面で話をする、というのが、最強やと思ってます。

講演会のように、多数の人向けに話をする…という時は、ブログに書く時に似た感じにはなるかな…と想像はします。
(経験がないので想像するしかない)

けれど、文章だけの受け渡しよりも、ずっと沢山のことを発信することができるし、その場で自分の元にダイレクトに還ってくるものをキャッチすることができる。

それが、少人数での対談になれば、もっと、濃いものになるし。

1対1に近づけば近づくだけ、カスタマイズがどんどん、個別にできる。
共同で作る場は、人数が少なければ少ないほど、濃くなります。

多人数になれば、その数分だけの視点がそこに存在するから、話が広がり多角的になる。



人数と、場。
人の個性。

そういうものが全て、共同で、一つの場を作るのですね。

一見無駄な時間のように見えるかも知れないけど、何の落としドコロもなく、何の結論もなく、特に何かを習得できるわけでもない…そんな「ただのお茶会」が、私は、一番、好きです。

その雑談の中から、それぞれが、自分に合うものを拾って帰る。

それが、一番理想的。




うずまきの会という名の、お話会。
お話会という名の、お茶会。

また、ぼつぼつ、企画していきたいと思います。