隔てる ということ | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

もう、かなり前の話になるけれど。
とあるヒーリング系の中の講座を一緒に受けた方が、その同じ世界にいる人のことについて、あることを言っていた。

曖昧な書き方になってるけども、それは、今の段階で、その世界の中の在り様とか、その方達の傾向とか、そんなものについて、批判的な目を向けている部分が、私の中でどんどん薄くなってきているから、名指しをすることは、もうすでに、今の自分がしたいこととは違ってきている…からです。


その世界に限らず、光VS闇…という構図を好んで用いる世界観というのはあって。
光の中から、闇の側へ堕ちていく…という存在が語られる、ということも、その世界だけではなくて。
よくある、話。
世界共通の寓話と言ってもいいかなと思う。


ただ、その頃の私には、「その世界」の中にいる人達というのは、他の世界よりもほんの少しばかり、闇を恐れ忌み嫌う傾向が強いかもな…という印象を、持っていた。

そして、その世界の中の「光の存在」の頂点にかつて立っていた者が、闇の側へ堕ちている…と。
そのことを、その講座でご一緒した方は、全く知らなかったそうなのだね。

予備知識なく入ると、そういうこともあるのか…と思いながら、その方のお話をお聞きしてて。
その方は、その「定説」の存在を、自分の中でどう扱ってもいいのか、わからなくなってしまった…だから、先生に、それを聞いてみた、とおっしゃった。

先生の答えが何だったのか、私にも、とても興味があった…それはもう、言うまでもない。

そういう、闇の世界と言われること、その周辺に触れることそのものを、その方は、慎重に避けている…という印象が私にはあったから。
生徒に真正面からぶつけられて、どう答えるのか…と。


先生の答えは…自分は、そこに意識を向けることができないから答えることはできない…といった感じのものだったそうな。


その質問をした方は、更に、どう扱って良いかわからなくなってしまったらしかったけど。
そこは、私には、何もアドバイスできなかった。
私の世界観は、「その世界」の中ではかなり偏って特殊なものだったので…。

で、私が、その先生の回答に対して、どう感じたか…と言えば。

正直に書けば、がっかりした。
同時に、納得もした。
自分が、その世界の中にもう居られないということは、わかっていたけども、それを、大変に納得した。




でも。

今…ここ最近になって、見方が少し、変わって来たのだよね。


本当に、そう答える以外に、術がなかったのかも知れない…と。


その先生は、決して、闇について思うことを「忌み嫌う」「避ける」「ないことにする」そんな感覚のもとに、その答えを言ったのではないのかも…と。


本当に、「そこに意識を向けることができない」のかも知れない…と。




朱に交われば赤くなる…という諺の通り。

一瞬で、闇の洗礼を受けることになる。

ないことにするために、意識を向けない…のではなくて。
その洗礼を受けないために…つまり、その存在を重々知った上で、今の段階で自分がそこから身を守るためには、意識を向けないようにするしかない…と。
いうことだったのではないかな…とね。




その頃は、とにかくもう、猛烈な反抗真っ最中だったので、暗部やネガティブと言われる側を排除しようとする、無いことにしようとする傾向というのが、ガマンならなかった頃でもある。

今?
今はもう、別に、どっちでもいい。
排除したいなら、ないことにしたいなら、したらいい。
在るモノはあるから、排除もないことにも、できないけど、それができるつもりになれるなら、なったらいい…って、思っている。
それを選んだ結果、どうなるか…というのも、引き受けるだけのことなので。
好きにしたらいい、と思っている。


当時は、そんな風には思えなかったから。
「綺麗なままでいよう」とする、その方向の努力というのを、間違ってる…って、一方的に思っていた。


間違ってなんか、いないんだけどね。
その人の選択がそうだ…っていうだけのことなのだから。



そして、今は…「とにかく、接点を持たないことが大事」とか「意識を向けないことが大事」とか。
そうした「線引き」というのが、必要なことというのが、確かにあるのだ…と。

それが、わかってきている。


嫌だから…とか。
コワイから…とか。
忌むべきものだから…とか。
ないことにしたい…とか。

そんな話とは、全く次元が違うところで…確かに、意識を向けない接点を持たない、はっきり明確に自分とその間を「隔てる」ことが重要だ…と。
そんなこともある、っていうこと。

それが、わかってきてる。


その視点で見てみれば…「私はそこに意識を向けることができない」という、答えは。
その本意は、どこにあったのだろうか…とね。



その時、どういう経緯でその答えを返すに至ったのか…ということは、私にはわからないのだよ。
ただ想像だけして…それも、こちらの勝手な偏見の中からしている想像だけで、勝手に、わかってる気になっていただけ。


共に歩くことはできない世界に属した人達…というのは、確かに、存在する。


だけど、その選択は、自由なんだよね。

私が、闇も光もあるかいな…という世界観を持つことを選んでいる自由と同じ。



こっちはこうだ、あっちはああだ…と、勝手に決めつけているだけだ。



もっとも、そう思ったことも、「ああ、なるほど」というだけの話で。
別に、過去の自分が未熟だったからどうこう…とか、思うわけじゃないのだ。

ただ、大事なのは、「なるほどな」と思った、その「一点」…それを、今、見つけた…という事実と、その記録。



そして…闇も光もあるかいな、という世界観を持っていても尚、「間を隔てる」ことが大事なのだ…ということが、存在する。

むしろ、そういう世界観だからこそ「隔てることが大事」なのかも知れない。
忌みがない分、更に容易に染まる。

知ってる、ということが盾になることもある。

そういう、記録。



この世には、本当に、無数の世界観があるのだなあ…。


なんか、論旨もヘッタクレもない、わけのわかんない夜中の戯れ言やねえ(笑)