その先に「人」がいる…ということ | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

私はたぶん、平均的水準から見て「手先が器用」な部類に入ると思う。

あまり実感はない。

布を縫うことは苦手だけど、それも、全くお手上げということはない。
長男が生まれた前後は、ベビー服も縫ったし、大人のトレーナーをリメイクしてツナギを作ったりもした。

フェルト布を適当に切って縫いぐるみを作るっていうのは、小中学生くらいに良くやった。

刺繍で絵を描くってのも、やった。
あれは肩こりが尋常じゃないが、楽しかった。

ビーズ細工も、けっこう色々やった。


食べ物も、デコレーションケーキなども一時よく焼いていたことがあったし。
自分は食べもしないのに(笑)栗蒸し羊羹とか作ったりもした。


やってないけど無理だとわかるのは、パッチワークかな(笑)
あれはね…できる人尊敬します。


ただ、私の場合はどれもこれも。

「作ることそのもの」

が目的であって、出来上がったものを使う、それを楽しむ…という発想は。
ない。

アクセサリーなど最たるもの。
作るのは大好き。
材料を眺めてるだけで楽しい(笑)
が、完成したアクセサリーを自分で使う、ということは、皆無であった。
欲しいという人にあげてしまったか。
解いてビーズに戻してしまったか。

子どもの頃作ってたぬいぐるみやペーパーフラワーも、欲しいっていう同級生がいたらあげてしまっていた。

羊羹なんて、もちろん、私は味見さえしない(笑)

ケーキは、子どものために作った時は自分も少しは食べるけど…多くは、誰かの家を訪ねる時に手土産に持って行くことが多かったので。
自分が食べる目的で作ることは皆無であった。



制作するという作業そのものが、私の目的だった。

絵も。

それは、ほんの、つい最近まで。



お客様を目の前にして、セッションのカタチで絵を描いてお渡しするようになって。
また、ワークショップをやってみて。

はじめて、「受け取ってもらった瞬間の表情」というものが…それを見て感じることが、嬉しいことなのだ、ということに気づいた。

いや…正直言うと。
お客さんの目が急にキラキラして、「尊敬」「崇拝」みたいな雰囲気を醸し出す時もあり。
そういう時は、非常に居心地が悪くなり、脱走したくなる(笑)

でも、なんかそういう、居心地悪いほどの美化でない時にはね。
嬉しいのですよ、やはりね。

長らく、自分の作品になど、何の価値もないと思ってきたので。

本当に、そう思っていたので。


そして、昨年の秋。
ある方の個展を拝見し、帰り際に入り口からギャラリーの中を振り返って見た時に。

「自分のやりたいことは、これじゃない」

そんな感覚が、とても、強く沸き上がってきたのです。

つまり…美しいギャラリーに整然と並べられて、それなりの高値で売買される「絵画」として。

そういうものとして、絵を描く。

私のやりたいことは、それじゃない…と、思った。


お客様を目の前にして、その時、その瞬間しかできないものを描く。
それを、その場でお渡しする。

全部がリアルタイム。


美術作品を作ることが目的なのではない。

目の前の方と、時間と空間を共有して、一緒に作る絵を描く。

私だけでは、成立しない絵を。



4月に、ある方の絵手紙講座に参加した。

私は絵がデカイので、ハガキに描くというのは非常に厳しく。
絵手紙は、それだけで敬遠していた。

けれど、やってみると、以外に、サイズは気にならない。
確かにちょっと小さいかなと思うけど(笑)
でも、そのサイズだからいい、という絵もある。


そして、絵手紙を毎日いただくようになり。

私も、たまに、人様にお出ししたりして。

始めから、「人に送る」目的で描く…それも、「一枚の絵」としての要素以外のメッセージ性なども、普通の絵にはないものがあることも実感できてきた。


そして。

ここにも、その先に「人」がいる…ということの意味が。
とてもとても、大きく感じられるのです。


仕事場に篭もって黙々と修行のごとく描く…というのも、これはこれで、私にはとても自然な、自分に合った仕事の仕方だと思う。
だから、作品として描く絵も、もちろん、もっと多く描きたい。

その場合の「絵」には、その先の「人」は、いない。

私自身と、その時描いている対称があるだけ。
神でも天使でも、誰か人間でも、生き物でも、静物でも。
ただ色や光があるだけの抽象的な絵でも。

そこにあるのは、自分の世界のみ。



でも、そうではなく。

会って描くということ。

相手先を思いながら、描いて送るということ。


自分の仕事の先に「人」がいる、ということ。



後世に残るような作品など、一つも残さずともよい。

ほんのいっとき、受け取った方が「その時間」の楽しさを味わえて
後でそれを思い出せて。
その後しばらくの間、楽しんでもらえて。

その後は特にかえりみられなくなったとしても。

私が「その絵」を描いた意味は、その方と共有した時間にあるのだから。



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