こんにちは。
先日職場であったこと、振り返っています。
闇雲に長いです。すみません。


看護面からは離れた内容なのですが
私の働き方、今の職場について考えること。



先日の夕方、私は職場で1人残り残務をこなしていました。
その際、施設長が通りかかり「ちょっといい?」とお話する機会がありました。


私はこの春、「今年度末で常勤を降り、当ステーションまたは他でパートとして働こうと思う」と意思を伝えています。



その話を少し前に施設長とちょこっとしていたのですが、今回は最終的に時期の確認をされました。

と、いうか向こうは面談の時点であと2年常勤でいるつもりと認識していたようで「早くなった?」と聞かれたのです。
実際、早くなってはいません。
今年度末まで働いたあとは、どこかの職場でパート勤務をしたいという思いは去年の秋から変わりません。

週1程度、平日にお休みがあるシフトにして自分の時間確保しながら、立ち上げの準備をしたいのです。
来年度は準備期間+もう少し『おかあさん業』もしてあげたいと思ってる。

施設長は以前の面談にはおられず、このことについて話すのは最近になってからでした。面談では反対されたし、まだ早いとも言われました。ですが、施設長は私の看護の能力を評価してくれ「応援している」というお言葉をいただきました。
私にとっては身に余る勿体ない言葉ですけども。
それと同時に可能な限り私の力を借りたい、これからも良い関係でいたいとも。


私はしばらく前からここでの目標を見失っていましたが、施設長のことは尊敬しています。
現場で一緒に働く機会はほぼないですが、器の広い方だし、優しくて品があり、芯の強さもある。
この施設を立ち上げここまで盛り上げてきた方です。
ピンチのときにはフォローに入ってくれるし、他の事業所でもそう立ち回っています。マルチだなと感じています。

実際にはいろんな意見の相違もあるし、うまく行かないケースも、おや?今日は??ということもありますが、それは上に立つ人なら誰もが言われて仕方のないことだと下っ端の私は感じています。これは今の職場に限らずです。元管理者に対する憤りも管理者という立場だったからそう感じさせていた部分があります。
責任があるというのはそういうことなのかな。
上の人って大変やなって思ってる。その辺りを差し引きしても施設長の人柄を尊敬しています。

私も心置きなく退職できるなら、立ち上げまでの残り1年…別の職場で経験を積みたい気持ちがあります。
なぜならこの職場では『これがベターなのか?』と悩む機会が多かったから。結局この3年で私は自分の思いで看護をしてきました。言い換えれば自意識過剰かもしれませんが、割と早い段階で皆を引っ張る位置で働くようになってしまった。でも十分に学ぶ前にそうなってしまったなと感じています。だがらもっと他者の考えや方針、経営を知りたかった。

でも、正直、うちの職場は急に放棄して任せておける状況でないのも理解していて…
だから上司の面談以外では具体的な期限を含めてこのことを職場では言えずにきています。
自分に後ろめたさがあるのでしょうね。
(でも前職場では私達のことが噂になってきているという情報もあるので誰かは知っている可能性もある…)

なのでいきなり去るのではなく、来年度はうちの職場にパートとして残るのがいいのかなと思ってはいました。
退職を匂わせながらパート残留で話をしたいと思っていたので、ちょうどそのお話ができよかった。

中途半端に残ることが許されるなら、パートでも待機もしたいと思うと伝えました。
あのお話からは了承が得られたと思います。




それと同時に私についての気持ちをお話されました。

内容としては
towaさんはみんなが負担にならないよう動いていると感じるが、とても忙しそう。動きが早いから自分でやったほうが早いと思うだろう。
でもそこで自分がする必要のない場面でもっと任せてみたら楽になるのでは?
これから人を雇ったりしていく立場になるだろうからそのように考えておくといいのでは?

といったことでした。

とても優しく伝えてくださいました。
私の能力を買いかぶりすぎてきるところはありますけど(そもそも私は仕事が遅いタイプ)人に任せられないという私の課題をよく見抜いておられるなと。

これまで私は仕事をするうえで相手より少し多く業務をこなすことで、自分自身の不安を解消していました。
自分が楽をしてしまうと、悪く言われるのではないか?人から嫌われるのではないか?という歪んだ思いもあります。
もともと対人関係にトラウマがあるので私が何かを与えることができない相手との関係構築(例えば子ども関係など)が苦手です。

そんなわけでたくさん仕事をして相手を楽にしてあげられると感謝してもらえる機会も増えると感じていますが、その言動に対してみんなが肯定的に思うわけではないのも理解しています。

過去に「あなたは『明日すればいいことを今日する』と悪く言われている、気をつけなさい」と忠告を受けたこともある。
当時、私はまだ若かったのでしばらくショックでしたが、今となっては確かにそうだなとも思っています。そもそも誰からも嫌われないなんて無理な話なんです。
昔よりは明日に回せることは回すようにしているし、後輩育成のため『やってもらう機会づくり』も意識しています。

ただ…今の職場では
任せられそうと感じた相手が追い込まれて辞めてしまったり、新人を育ててきたけれど、その子の仕事のストレスが強くなり出勤できないことが増えてきた、それは色々任せてきたから??というエピソードも続きました。

復帰した元管理者も今もなお不安定でやる気があるときと出勤できないときのムラが激しい。
役職付き職員さんはいろんな部署の関わりが必要でとても忙しくされている。
Kさんは一時より体調はよいと思いますが、慢性的に体の痛みもあり、体力、気力がついてこないと言われることが多いです。そもそも私より先輩なので先輩にやってもらうっていうのは自分の中にはない。

あとはパートさんに残業してもらってまでやってもらうのか…?となったとき、それをフォローするのがフルの役割とも思ってきたのですが…。

今の職場では自分がやらざるを得ない状況です。以前孤独だとブログにも書きましたが、私自身は頼る相手がいないままだと思っています。抱え込むような事例は受けなくなったことから一時より孤独感はないですけど。
多分というか、頼れないと思っていることは良くないんですが…

私が去ったあとも業務がうまく流れるよう今のうちからマニュアルを作ったり、自分なりには対策しているつもりだけど、周囲からそう見られているならばもう少し任せる努力が必要なのかなーとも思います。

でもなぁ…
Kさんとのバランス感についても言及されましたが、ほんと実際やっていると、この職場で誰かに振るというのは難しいんです。

自分からやると言ってくださったことはサポート側に回ると決めていて、人から奪うことはしていないのですが。

自分がやろうと思ったことを誰かに振るというのはやっぱり相手に嫌な思いをさせるだろうと思うので荷が重いです。自分がやることで誰か救われるなら…負担を減らしてあげられるなら自分自身が壊れない程度に調整しながら自分がやればいい、そう思うことは良くない考えなのでしょうか。


あとは元管理者について当時感じた憤りを私は未だに引きずっています。表面上には出しませんが、思いを聞かれる場になるとこの話しなきゃはじまらないというか…
施設長からは「もうゆるしてあげて」と言われたんですよね…



『ゆるす』か…



私は彼女をゆるしていないのかな?と思うと別にもう怒りの感情はないんですよ。
でも1度冷めきった気持ちから好きになるとかそんな風にも思えないです。

これってゆるしているのかなと考えていたら
ゆるすの定義が分からなくなり調べました。

許す
望みを聞きいれる。許可する。自由にまかせる。ほか、広く用いる。「結婚を許す」「肌を許す」「気を許す」「時間が許せば出席します」

赦す
すでに決まっている罪を免じる。義務などを免じる。

この『赦す』という言葉はキリスト教的な意味合いもあるようです。私はキリスト教ではありませんが…

キリスト教聖書によると

ある人から間違った行いをされた場合,その人の悔い改めには,償い,すなわち赦しを請い,自分が与えた損害を元に戻そうと努める行いが必要です。

ただし,相手が悔い改めて謝罪を求めてきたかどうかにかかわらず,相手を赦すべきだというあなたの義務は変わりません。

とのこと。

ケースに当てはめるなら管理者の立場を急に放棄して休み、現場を混乱させたことに対して??なのか?
一言謝罪はありました。
(周りが戸惑うほどあっさりとしていた。今も休んだりしますが、当時のように現場は混乱しないけど拍子抜けするくらいあっけらかんとしており、波が激しい)

相手を攻めようなんて思ったことはないですが、かと言って赦してやらなければとも思えない…その気持ちそのままにしてきました。

でも施設長に『ゆるしてやって』と言われて
これは私がいけないのだろうかと考えてしまいます。

このあたりの文面を読んでいると
神様が裁いてくれるから個人的に怒る必要がない。自分が傷ついたままでいることを強要しているわけではないとされています。

去年、私は傷つけられたと思います。
だから去る時期もそのときはっきりと決めました。ぶつかることはしませんでした。

この定義を読む限りは私は赦せているのかな?

赦す、とは必ずしも優しいこと、自己犠牲で成り立つことではないのだと分かったので少し安心しています。与えられた苦痛に対していつか天罰が下るから自分自身が相手に憎しみなど持たなくてよいよと言っているのです。

別に優しくしてあげなければならないわけでもないし、自分が去ることを後ろめたく思う必要もない。

ただこの話題を話すことで誰かに「私が元管理者をゆるせていないと捉えられてしまう」のなら、もうこの話はそういう場面でするべきではないのかもしれません。

もう十分に訴えたし、去年とは状況も変わったからもう訴える必要もないですもんね。
そう感じた出来事でした。
これからは前を見るように努力していきます。