こんにちは。



先日、次男が保育園でつくしを摘んで帰ってきました。
寒暖差はありますが春がやってきましたね。

春といえば暖かく、陽気なイメージですが
変化が多い時期でもあり精神的な不調につながりやすい季節だなとも思っています。

私といえば
1月は管理者の件でバタバタしましたし
2月は悲嘆ケアで自分も飲み込まれ

3月はね、春だから…かは分かりませんが、精神的な不調があったと思われる、施設内の職員さんより理不尽に責め立てられてしまって。
しばらくメゲてました。

私がとある利用者さんのご家族さんからの電話をうけ、その内容について伝えたところ
「とても残念だ、管理者にも報告した、もう帰らせてもらう!」と言われました。
ご自分の考えを否定されたと思いこんでいるようですが、私はそんなことは一切言っていないのです。
その場にステーションのみんながいて私だけでなく複数名で話していたことでした。
なので私だけが攻撃されたわけではないんですが…。
みんながシーンと怯えた空気になりました。
そして私以外の人たちもこちらは悪くないと感じています。


私は子供の頃いじめにあってから人の顔色を伺ってしまいがちな人間です。それがいいか悪いかはさておき、面と向かったコミュニケーションで全く意識せずに相手を怒らせるという経験が少なめなのです。

なので今回は完全に不意打ちで…思わぬダメージでした。
誤解されていることは明らかでしたが、相手は感情失禁の中で憤慨していたので言い訳しても逆効果と思われました。
そうっとしておいたら、2日後に相手からアプローチがありましたが、おそらく自分が勘違いしているとか考える余裕もないであろう相手方さんにとってはこちらが悪者悲しい
普段は結構こっちを立ててくれる方でね〜
今は前みたいに戻ったんだけど多分お互い内心はギクシャクしてるでしょう。

まぁいいんですよ。
白黒はっきりつける必要なんてないんですから。

でもねぇ

自分としたら傷つくわけじゃないですか?


 

 

こんな本まで読んじゃった。

まだ途中なんですが、色んな性格傾向の思考回路について分析された本です。


もやもやしちゃうもんね。

でもこの本読んでみて状況当てはめて考えたら消化できたとこもあった!


ちょっとだけスクショさせてもらいました。

ここで触れられているのは敏感性性格と呼ばれる、性格傾向のある人の特徴です。



私が敏感性性格かは分からないですけど、いじめにあってからは自信がなくなり自己肯定感が下がってしまい、自分のことを責めやすい性格になりました。
当時、自分が嫌われたのはわがままに振る舞ってしまったせいだ、相手への気遣いがなかったからだと思っていました。自信あるような態度は相手を不快にさせてしまうのだと。

そこから自分はビクビクと他人に怯え、挙動不審になり、目立たぬよう生きてきました。友達は少ないながらにいましたが。

あれからもう30年経ちました。
看護学生時代に仲間に恵まれ苦楽を共にする中で自分を認めてもらえた経験がありました。
仕事ができるようになると頼ってもらえる場面も増えていきました。大変なときに頑張ることで周囲からも評価してもらう機会がありました。
そんな中で私は自己肯定感を取り戻してきたわけですが、今もなお相手から嫌われることに対しての恐怖心は拭えません。ただあの経験があり、相手に配慮するということを意識するようになったことはプラスの面もあります。最初から自分を顧みず相手を批判するのはよくないことだと思っています。

でも本を読んでいると自分を責めなくていいと書かれています。自分の弱さに真面目を被せて自分を責めちゃだめだと、弱いから真に受けすぎてしまうのだと書かれています。

迷いや悩みを我慢してしまうことを抑留というそうです。
抑留により想いはどんどん膨れてしまい、自分は相手がそこまで感じていないことでも傷ついていくのです。

敏感性性格を持っている人は一見穏やかに見えますが、強い悔しさを抱えています。
平和を重んじるあまり人に譲ってしまいます。
それが棘となり傷付きそれを癒やすことができません。

でも、だからといってそう受け止めてしまうことはどうにもなりませんよね。
悔しい気持ちはどうしたらいいの…?

この本では解決策としていくつかのことが挙げられていました。

  • 自分を許し、自分を理解すること
  • 相手を理解すること
  • ありふれた日常に感謝すること

ここで書かれているのは自分を許すことであって相手は許さなくていいってことなんですかね。相手を理解する…か。

この本をじっくり読みながら

私も状況を振り返りました。
私にとっては何事もないいつもの電話だったことが相手には特別な電話であったことがあとから分かりました。

また相手方がもともとメンタル的に不調を抱えており薬も服用していたそうですが、最近調子が悪く服用量が増えていた。

たまたま電話のあった方は本人、家族さんともに不安の訴えが強い方でメンタル不調には少々負担が強い。

そのような背景がありました。
だから私の発言は相手を傷つけることになってしまい、その
これは…

もらい事故…ですね。


もらい事故で運が悪かったんです。
でもこの事故ってもらうしかなかったのかもしれません。
だって電話をたまたま受けた私にとって
その内容を伝えないという選択肢がないから。


そう考えたら
自分は悪くないんだ
って思えました。

そうしたらちょっとスッキリした。

私が傷ついてイライラしていたのは
私が相手を傷つけてしまったことに驚いて
自分は悪くないはずなのになにか悪いことをしてしまったんだ…と思っていたからなのかもしれません。

本を読んでみてよかったです。


今月は退職の話も切り出しました。
インフルで休んでみんなにも迷惑かけてしまったし…そんなことを考えていた
私自身もメンタルが弱っていました。
(あ!今はもう復活したなって感じています)
だから余計に受け止められなかったんでしょうね…

自分のこと 
大切にしてあげなきゃいけませんね!


退職のことはどうなるか分かりませんが
理由付けができなくて
上司に夢を伝えてしまいました。

もちろん応援はされません。
だって応援する立場じゃないですから。

ここでやっていけばいいじゃないかと言われました。
(経営者として管理者としてあなたは)まだ駄目だとも言われました。
自分で勝手にタイムリミット作っちゃうなんて…と。

それは私も重々承知しています。
自分が未熟で世間知らずだという自覚はあります。
でも1度思った夢だから
人生1度きりだから
この数年はその夢に向かって動きここにいること、お金を貯めたり看護以外の勉強もしていること…。

もしだめで路頭に迷ってもどこかで働けるかなと思っていますとお話しました。


まぁ話し合いは平行線で退職について受理されたわけではないのですが
でも夢があっていいねと言っていただきました。

あと1年と伝えていますが
内心は2年でもいいと思っています。

1年後、準備の時間確保のためにパートとして働くという予定は立てましたが
その残り1年をどこで働くかは決めていないからです。

管理者とのいざこざもあったから
以前ブログでも書いたように別のステーションでの経験もしてみたいところですが…私は退職交渉がやっぱり苦手で…
流れでここにいてもいいのかもしれません。

管理者、復帰の運びとなります。
でもこれまでのようには振る舞えないよう上がセーブかけています。
彼女自身はお休み前と変わっていないようです。
この状況でも管理者を退くという選択肢は彼女の中ではないようですし、話を聞いているとこちらへの謝罪というか…迷惑をかけているとかそういう発言がないようなのですよね…。

自分の思うように運営できないことが辛い、自分はまだまだできる!という感情が強いのだとちらりと聞いています。

簡単に推測すると
今復帰しても双方よくない影響が出そうです。

彼女が自分の願望ばかりを押し出すうちは運営は無理でしょう…
管理者というのはまず職員を管理しなければいけないのではないでしょうか。
職員を大切にすること、感謝の気持をもつこと、職員のキャパシティを把握すること。
そのあたり学んでもらわないと…結局みんな離れていくでしょうから。


私は私達管理側ではない一般の職員は組織の駒だと認識しています。
でもただの無機質な駒じゃないんです。
感情もあるし、身体だって健康とは限らない。

ずーっっと鞭打たれて頑張り続けることはできないんです。いつまでもついて行けないんです。

私はこの職場に来てこの時期を経験できてラッキーだったと思います。
職場においてなにを大切にしなければいけないのか身をもって体験できたからです。

時々考えることがあります。

彼女はなにを望みなにを目指していたのだろうと。どんな看護観なんだろうと。
…管理者としての地位なのかな?
…色んな利用者さんを受け入れできるステーションを運営しているという実績なのかな?

実際は違うのかもしれない。
ただ言動からはそのように受け取ってしまうんですよね…。
利用者さんのことを考えているのなら復帰後の立ち位置でも苦しまずに働けるのではないかと思いますが、どうだろう。

色々変わった職場を見て、自分メインでなく運営されるステーションにいたらまた病んでしまうのではないかなー?と。
先のことはわかりません。
できれば考えを改め元気になってまた働けたらと思う。そしたら私も安心して去ることができるのにな。