こんにちは。


最近はまた仕事の話ばかり続いていますが、私の心が揺さぶられる出来事があり、記録しています。



私が訪問看護に転身して初めての秋、在宅での急変〜救急外来での看取りという場面を体験しました。

大脳皮質基底核変性症という神経難病を患っている利用者さんでした。



あのあとも神経難病の方の急変というエピソードはちらほら起こり、あのようなことが起こらないよう…もっと病院と連携したりしなければという思いで働いています。






今、関わっている利用者さんで気になっている方がいます。その方もとある神経難病です。

状態が悪化したら呼吸器にのって生きていくことを選択した方です。

症状の進行時期であり精神的にも揺らぎ、介護負担も多くて本人もご家族さんのことも心配していました。私とKさんで入っていたのですが、ありがたいことに私達に揺れ動く想いを吐露してくださっていました。2人で想いを聞きながら関わっていました。


ここ最近は話すのもしんどくて疲れてきましたとご本人さんがおっしゃられていました。

呼吸状態もどんどん弱くなっていきます。

本格的に人工呼吸器にのるための手術も予定していたのですが、体調がどこまでもつのか不安に感じてしまいます。

そうしているうちになんだか疲れていたり、精神的に落ち込むというだけでなくボーッとしていることが増えてきました。


私達はCO2ナルコーシスを疑っていました。

呼吸状態が弱く換気が不十分であると、体内に二酸化炭素が蓄積し、意識レベルが落ちたり最悪呼吸停止をきたす病態です。


今もBiPAPというマスク式の人工呼吸器を夜間のみ装着しているのですが、この人工呼吸器で陽圧換気していくと二酸化炭素排出の効果があるんです。

おそらくBiPAP時間が夜間だけでは足らないだろう、終日装着が必要になってくるのではと考えていました。


でも私達訪問看護はフィジカルアセスメントしかできませんし、データを見ることもできないので本当にそうなのか確信が持てません。指示書を発行していただいている主治医の顔も知らないのです。


診察は週1でされていました。


そこでフォローアップされているはずとは思っていますが先週状態について連携しました。意識レベルが低下してきているかもしれず不安であること、BiPAP装着時間の指示がほしいとFAXしました。


その際、特にFAXを送ったことでの動きがなく…主治医からは手術を予定しているとの旨の丁寧な返書をいただきました。



さて…どうしよう?



急変リスクが高い嫌な予感がします。


待機メンバーではもし急変したらどう動く?と相談し、行動が統一できるようにしました。

でも急変なんてあってほしくない…

色んな人と協議して対応を検討しました。


延命を望んでいる方ですのでやはり本人、家族へ説明をして、診察や手術を早める希望をしてもらわなければならないだろうとなりました。

まずご家族とじっくり話をしたいとなり、

それを今日予定していたのですが…


前日嫌な予感が的中してしまいました。


「息していない!」

との緊急コールです。


動揺されながらもきちんと判断できており、救急車を呼んですぐに連絡をくださいました。

BiPAP装着してみるよう電話で伝え自宅から直行。…赤信号がすごく長く感じました。


救急車到着前に私が着きました。


BiPAPはつけてみたけどだめだったと。

一目でもう止まっていることは分かりました。「〇〇さん!がんばれ…!」と胸骨圧迫を開始しました。


とまったときのことは奥さんも夜通しの介護でウトウトされていて時間が分からないとのことでした。「私のせいだ…!」と叫ばれかなり動揺されていました。

お恥ずかしい限りですが、急変時対応が苦手な私も冷静さを欠いていたと思います。

がむしゃらに心マしながら「奥さんのせいじゃないです!」しか言えなかった。


あんまり体力もないもので心マに疲れて連続でできなくなったころに(と言っても2分くらい)救急隊が到着してくれ、心静止状態であることを確認し、一緒に担いで救急車に乗せました。その時になって自分の足がガクガクしていることに気が付きました。利用者さん抱えながらつんのめりそうになって…ご迷惑はおかけしなくてよかったんですが…ほんま自分情けない…。


奥さんが動揺されていたこともあってそのまま救急車に同乗しました。救急隊の皆さんとCPR実施しながら病院へ。

ほかのご親族が到着されるまでは私と奥さんの二人でした。話を聞きながらさすったり抱きしめたりするしかなかった…。


結局薬剤の反応もなく、蘇生処置の効果が見込めず…決断のときとなりました。


本当に頑張ってやってきて…不安の中にも

これから手術して呼吸器をつけながら生きていくって希望も持っていたのに…

こんな後悔の残る形になってしまった…。





命とはなんてあっけないのだろう


そして私達は

そんなリスクを前もって感じていたのに

動いてたつもりだったのに


なんて無力なのだろう


嘘だよね?!と利用者さんを揺さぶる奥さんを遠巻きに見つめながらそんなことを思った気がします。なんの声もかけられません。


ご親族のみなさんは奥さんに本当によくやってくれた、これじゃあんたが倒れてしまう、心配だ。自分なんてなにもしてあげられなかった。と悲しみながらも奥さんを労り誰も責めるようなことを言われなかったので…それにはただただ救われました。


周りのみなさんも本人さんも

奥さんががんばってくれたこと…十分すぎるほど分かっています。

今はその言葉を受け止めることができないと思いますが

御自分を責めないで過ごせる時間が早くきてほしいと願うばかりです。



私は…


私達にできることはやったとも思うのですが

同じことを繰り返してしまったとも思います。

優劣つけるつもりはないんですが、これまで関わってきた難病の方で飛び抜けてお若かったこともあり


助けたかった…

力になれなかった…

助けられなかった…


…どうにもならなかった。


そんな思いがぐるぐるしてしまって。

最善は尽くしたつもりですが…では彼が命をつなぐためにはどうしたら良かったんだろう?


いまは答えが出ないな…。


救急車に乗ってきてしまったので帰る手段がなく、タクシーを呼んで利用者さんのお家に戻りました。警察介入が必要な事案で既にパトカーが待機しており、事情聴取されてから事務所に寄るよう言われていたので寄ったところ

他の職員さんたちが集まってくれていて

飲み物もくださって

今回の振り返りをしました。


訪問看護ってこういうとき孤独なんですよね…。緊急時もひとりぼっち。

なのでお休みでも集まってくれたんだな…温かいなぁ…と思いました。


私はAさんの経験もあり

今回はあのときよりは強くいられたように思います。


訪問看護で止まった直後、蘇生が必要で搬送する前から入るということ自体、非常に珍しいことのようです。

なぜか2度目の経験ですが。


病院で救急隊の方に名前を聞かれるのですが

名乗ったところ

「…2年くらい前にも同じように心臓マッサージされていましたよね?車椅子の上で。お名前が珍しいので覚えています。」と言われました。


おぉ…Aさんのときにもこの方にお世話になってたんだ…。私はその救命士さんのお名前がわかりませんが、なんだかご縁を感じました。

もう辞めて3年経ちますし、救急外来だって私の知らない職員さんもたくさんいるのですが、Aさんのときも今回もこういう局面では不思議とよく存じているメンバーさんが揃っています。


しがない1ナースの私のことも案外覚えてくださっているんですよね…


私は立場も変わり部外者として訪れる場ではあるのですが、病院にくるとなにか分からないけど蘇ってくるものがあります。

もっと地域と病院が密に連携して医療を提供できたらな…と感じることが多いですが、私の住む地域でそれが叶う日がくるのか…私にもなにかできることがあるのか…


今のところは雲を掴むような話です。