おはようございます。


昨日は訪問看護利用者Aさんの命日でした。



別にだからといってなにかしたわけではないのですが、私の中では前から「あれから1年だな」と考えることが時折あり…。


やはり、この方の死は私にとって影響が大きかったのだと思います。





今思い返してみると、あの急変の場に救急車よりも早く自分が遭遇したのってものすごく低い確率だと思うのです。


あのときは必死に蘇生しようとしました。


車椅子のままがむしゃらに胸骨圧迫したせいで、バランスを取ろうと押えた私の足にあざができました。
(今ならもうすこし方法を考えたいところですが。でも旦那さんとすごく協力して処置できたな、とも思います。)


救急隊が到着したときモニターは完全にフラットなのを確認していて…
でも救急車に乗り込む過程でAさんは一時的に息を吹き返しました。

結果として助からなかったけれど、その後救急外来でAさんと旦那さんがお別れする時間がゆっくり持てました。

なんならAさん、私のことも待ってくださっていました。旦那さんに頼まれた携帯電話を取りに行っている間は心拍を保っておられましたので。

私そんなに泣くタイプでもないのですが、あのときはAさんをさすりながらいっぱい泣きました。これだけ時間がたった今思い出しても悲しいです。

急変はあってほしくないことですが、
でもAさんの場合、病状から考えて痰による窒息は起こるべくして起こりました。その中でAさんはお別れの時間を旦那さんと私に与えてくださったのでしょうね。


この夏、病名は違いますが同じ神経難病の利用者さんも痰による窒息で息を引き取りました。

この方の場合は臨死の場面に立ち会ったわけではないのですが、私が最後の訪問看護に行きました。

あのころは痰がすっきりせずSPO2が不安定になってきていて、しかも気管にチューブが入りづらくて(ていうかほぼ入らない)
私が訪問したときはごろつきがかなりひどかった。呼吸を見ながら吸気に合わせてチューブを挿入したら奇跡的に?気管に入りとめどなく痰がひけました。吸痰後一時的にSPO2が下がりヒヤッとしましたが、数分で回復。


奥さんに「もう吸痰が限界です」と伝え、主治医に連絡を取ろうと思いましたが、週一でしか外来に出ない先生で当日まで連絡の手段がありません。
外来日まで5日あり、連絡の準備をしていたところ訪問の3日後急変して、家族さんによって救急搬送されそのまま亡くなりました。

気管切開をしたら痰でいっぱいだったと…。



私はそのとき同じことを繰り返していると感じました。
痰による窒息は起こりうることでした。
神経難病の方が疾患により程度や進行度がばらばらでも、徐々に呼吸を含めた全身状態が悪化していくことも分かっていたことです。



とはいえ、衝撃でした。

これまでも痰がゴロゴロしていたって奥さんが口から引いてくれていて大丈夫だったから…
急変リスクが高いことを分かっていても
でも数日は大丈夫なんじゃないか…不安の中にもそんな甘えがあったような気がします。

あのとき私はどうすればよかったのだろうと自問自答の日々です。
SPO2が下がった時点で救急搬送すべきだっただろうか?

問題点は訪問看護師だけがこの方の呼吸状態を把握していて医師に繋げなかったことだと思います。

2人の主治医は同じ医師です。

神経内科医がいないという地域の特性上、連携が取りづらいのは仕方のないことですが、だからといって連携をとらなくていいのでしょうか。

ドンのつまりまで行ってからでは遅いのですよね。
前もって密に連絡をとり、適切なタイミングでICをしっかりしてもらうこと、いざというときの連絡ルートを確保しておくこと。緊急の処置は主治医でなくてもいいが、方針を明確にしておく。

それが、今できていなくて、この地域に必要なことだと思っています。
いつかシステムそのものを見直してもらえる日が来てほしいと願うばかりですが、それまでは私も経験を積み、家族さんが覚悟をもって介護をして自分を攻めたり悲しむことが少しでも減るようにできることは何か?考えながら関わっていきたいと感じています。