おはようございます。
仕事の話を書かせてください。
ここ暫くはがん末期の利用者さんが立て続けに状態悪化したり、入院後急変しあっという間に亡くなられるということが続いていました。
私自身がそんな状況に当たっている感じはあって。
10月後半はたまたまの事故に遭遇したり、道で倒れている人を介抱したり、利用者さんの状態悪化で自分が救急車を読んだりと、かなりの頻度で救急車と関わることが多かったんです。
昨日はなんか夜眠れない日でした。
3時間ほどしか眠れなかったからか…咳がよく出たので家に残っていた内服を飲んだせいもあるのか眠気があり若干ふらふらとしておりました。
土曜でうちの事業所は基本1人出勤。半日の勤務になります。
朝訪問に出かける最中にレスキュー隊がなにか探索されているところを見かけ
「少し久しぶりの救急車だ…。最近よく見る」と思いながら車で通り過ぎました。
訪問をすべて終え記録して。
でも私、寝れなくても夜勤とかでもこんなことならないのですが、いつになく眠くてたまらなくて仕事で他に時間があったらやりたいことがあったのにパソコンに向かっても手がつけられなくて。
「もうすぐ終業時間だから帰って寝よう…」と思っていた瞬間でした。
電話がなりました。
電話を受けると利用者さん(Aさんとしましょうか)の夫が慌てた様子で「死んでしまった!」と。
私が「えっ?!」と言うと「死んでしまったんや!どうしよう…早くきて…!!」と。
眠気吹っ飛びました。
この方、神経内科の難病を抱えている方でADL全介助。普段から痰の量がすごく多くて頻回に気管まで吸痰しないと酸素飽和度が低下しやすい状態でした。
酸素も気管切開もしていません。
気管切開は本人さまが望まなかったようです。
旦那さんがとてもAさんを大事にされていて、めちゃくちゃ穏やかで良い人でね…お仕事もあるなか手厚く介護されている。
私はAさんを前の職場で数カ月にわたり受け持っていた経緯があって、入院中よく「えーん!えーん!」と泣いていました。
どうしたの?と聞いてもうまく言葉が読み取れない。お友達が面会に来てくれて励ましてくれるんだけど「わ〜ん!」て泣いて。
旦那さんは毎日きてくれ「Aさん今日も泣いててね…」って話よくしたなぁ。
旦那さんも「なんて言ってるか分からんわぁ」と言いながら優しく接して下さっていたのを思い出します。
辛かったんやろうね。
「(処置に対し)訳がわからんかったから…」とおっしゃっていたことはありました。
訪問看護に転職し、Aさんと再開。
Aさんこんな状態だけど、意識レベルはクリアな方なので私のこと覚えてくださっていて。
おうちで過ごす姿が見れて嬉しかったんです。
平日は1日2回訪問し、吸痰や清潔ケアなどを行っているのですが…
…そんなAさんが
「死んでしまった!」
という電話から
ただ事ではない雰囲気なのが読み取れ「すぐ行きます!」と返事をして大慌てで訪問。
事務所からすごく近いお家のため車で1分で到着。
そこで見たのは車椅子に乗っていて明らかに呼吸が止まっている顔色のAさんと
必死に心臓マッサージをしている旦那さんでした。
即座に胸骨圧迫を交代し、旦那さんに「119番に電話してください!」と依頼。
胸骨圧迫しながら、呼吸もしていないし、頸動脈も触れないのを確認。
夫さんはすぐに119番してくれたんですが、パニックでおろおろされていて
「心肺停止って伝えて下さい!」と伝えると
ハッとされしっかり状況をお伝えしてくれました。
蘇生する中で
リクライニングの車椅子に乗っていて、最大限倒した状態だったんですが、車椅子に枕がついているので、気道確保が思うようにいかず、
ベッドに戻すか考えたけど、そうするとエアマットなので今よりも心マが効かなくなってしまう。
「…どうする?!」
と悩んだけど。
旦那さんにも「この体位じゃ…気道が確保できないです…が、ベッドに戻っても…このまま蘇生します!」と焦りと心マ中で息切れしながら、説明し、そのまま車椅子がひっくり返らないよう押さえて心マを行ったんですが。
あとから思えば旦那さんと床に下ろせばよかったですね…。
恥ずかしいことに私自身がパニックで正しく状況判断できていなかったと思います。
私が疲れたタイミングで胸骨圧迫を変わってもらいそのすきに吸痰を2回。
状況を尋ねると
この日旦那さんは吸痰してから50分くらいスーパーに買い物行っていて、Aさんがその間車椅子に乗ると行ったので乗せてあげていたそうです。
そして戻ってきたらこんな状態だったと。
心臓マッサージを少しやって私に電話をくれたということでした。
帰宅直前に痰が詰まったのかもしれません。
救急車はすぐに着てくれました。
当たり前やけど、救急隊のみなさん冷静なのでそれで私も少し冷静になれました。
看護師さん圧迫続けてもらえますか?と指示してもらい
まず床に下ろして
(そこで床に下ろせばよかったと気がつく私…)
AEDのパットを装着すると心電図はフラット。
運ぶまで胸骨圧迫継続。
その最中にほんの少し呼吸したような音が聞こえた気がします。
担架で救急車に乗り込み搬送先の調整。
かかりつけが元職場でそちらに搬送決定。
私も役に立ちませんが、車でついていくことに。
救急隊員さんから「AED使わなかったけど、救急車乗ってから心拍再開したんです、呼吸は戻りません。今から病院に搬送します」と報告をうけ
「もしかして助かるかも?!」と期待してしまう。
病院でも処置を続けて、バックバルブマスクで換気中バイタルは落ち着いていました。
ただ呼吸がとてもとても弱くて。
瞳孔からも低酸素血症で脳に損傷が疑われると先生からお話。
延命処置のインフォームドコンセントが行われ、旦那さんは助けてほしいって思ってた感じだけど、これまで本人さんが望んでいなかったそうで。
「それは…していらんと言っていたんです」「子どもたちが遠いので少しでも持ってほしい」と複雑な思いをお話されていました。
呼吸器は乗らずこのまま経過を見ていくことに決定。
ここで旦那さんに「携帯電話を忘れてしまったから家まで取りに行ってもらえますか?」と頼まれ、30分ほど私は席を外します。
戻ってみると「あかんのや…」と旦那さん。
Aさんはナザールウェイ挿入+酸素マスクに切り替えましたが、呼吸がなかったので、心拍が再び止まってきている状態でした。
でも10秒に1回くらい心拍あってね。血圧もギリギリまであった。
よく頑張っていました。
お父さんが
「元気になるって言ってたやん…。さっきまで(普通に)いたのに。
わしのこと恨んどるんやろうなぁ…仕事にかまけて。
もっとやってやりたいことかあるのに逝ってしまったらあかん!帰ってきてくれ…!」
など泣き崩れていて…
仲良しご夫婦で普段から献身的に介護しているのを知っているから、見ていられなかった。
私自身もね、この状況受け止められないよ…。
救急の看護師さんも一緒に泣いてくださいました。
お父さんに「苦労かけたな…ありがとう、ありがとうな!」と抱きしめられながら
Aさん
永眠されました。
文章を書いていて涙が止まらないです。
痰による窒息のリスクはわかっていたことだけれど、予期せぬ亡くなり方であったこと。
長く関わってきて思い入れも強くなっていたのでしょうか。
おとうさんの悲しみが伝染したのでしょうか。
お人柄によるものはありますね。
かわいらしい方でした。
旦那さんが発見してから2時間ほどのことで
心構えする間もなく、あっけなく逝ってしまって…ポッカリと穴があいた感覚です。
そして私の対応でもっとできたことがあるんじゃないかとか思うことが色々あります。
事務所に戻るとたまたま事務員さんが仕事で来られていて、「Aさん…死んじゃったんです…」と状況をお伝えすると
「衝撃…」と絶句され。
「私が来てから2年経つけど、こんなことこれまでになかったです」って言われていました。
貴重な体験をさせていただいたのだと感じております。
ちっぽけな私は感情が揺さぶられて
立ち直るまでもう少し時間が要りそうです。
文章を書くことで、
職場で思いを共有することで
受け止めていきたい。
そう考えています。