第23回吉益東洞顕彰会が、第636回の広島漢方研究会も兼ねて、9月9日の日曜日に行われました。吉益東洞は江戸時代、中国伝来の哲学的な漢方理論を排除して、日本独自の実証的な漢方を打ち立てた、郷土が生んだ偉大な漢方医です。広島大学医学部の構内に顕彰碑があり、毎年9月に、広島大学医学部の広仁会館で広島漢方研究会の主催で顕彰会が行われています。

当日は大雨警報が出て開通した山陽自動車道は再び朝から通行止め、国道2号線で広島まで行きましたが、山陽道を通る予定の車まで2号線を利用したため、大渋滞。いつも日曜の朝は45分で広島に着くところが、1時間45分かかりました。前夜からの雨で瀬野川の増水もひどく、海田町では避難の有線放送が繰り返し放送されていて、エリアメールも大雨避難のメールが届き、帰りが心配されました。
会は予定通り9時半から、広島漢方研究会会長の山崎正寿先生の挨拶で始まり、

一般演題、大分の桒谷圭二先生の<竹久夢二の美人画は本当に当帰芍薬散証なのか>、同じく大分の黒川達郎先生の<病跡学から見た吉益東洞>、山崎正寿先生の<浅田宗伯と古方医学>、3題の発表後、

来賓として吉益東洞の子孫の吉益倫夫先生が挨拶され、東洞の遺品のうち東洞自作の皿を披露されました。

広島から京都に出た吉益東洞は、不遇時代に人形を作って糊口をしのいでいた、と言われていますが、この皿は、全国から来た門人たちに記念品として渡したもののようです。

吉益先生はお父様からお兄さんと共にこれを譲られたそうです。自分で持っていても散逸するし、東洞の郷土の大学の資料館に保存してもいたいと言うことで、そのほかの遺品と共に、広島大学の医学資料館に寄贈されました。

昼ごはんの後、例年通り広島大学医学部キャンパス内の吉益東洞の顕彰碑に献花の予定でしたが、大雨で中止。スライドで顕彰碑を映してそれに献花のバーチャル献花になりました。

山崎会長、特別講演に来られた中田敬吾先生、来賓の吉益倫夫先生が献花されました。

午後の特別公演は、京都の聖光園細野診療所理事長 中田敬吾先生の<漢方医学の改革者細野史郎>の講演がありました。

大雨のため今年は遠来の参加者が少なく、例年よりは多少さみしい会になりましたが、熱心に議論、熱心に聴講、例年通り活発な会でした。年とっても勉強に限りはありません、同郷の偉大な漢方医の大先輩 吉益東洞先生を見習って、今後とも勉強しなくてはと思いました。
会も終わって帰る頃には雨も上がって、いつもよりも少ない交通量で早く自宅に着きました。