城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!
今回のルート:清洲駅-清洲公園-清洲古城跡公園-清洲城-朝日遺跡-史跡 貝殻山貝塚-信長ラーメン
今回は清洲城をめぐります。
スタートは清洲駅です。
ここから徒歩20分ほどで清洲城に到着します。
途中の清洲公園です。ここには濃姫と織田信長公像が建てられています。
濃姫像。
織田信長公像。
清洲古城跡公園。
織田信長公を祀る社。
そしてその先が清洲城です。
清洲城は1405年 斯波義重によって築城されました。もとは下津城(おりづじょう)の別郭でしたが、下津城焼失後は清洲城に守護所が移転し、清洲城が守護代織田家の本城となりました。
清洲城は、若き織田信長が居城とした城です。
桶狭間の戦いにはここから出陣しました。
清洲同盟(1562年)、清洲会議(1582年)など、歴史上の出来事にもその名が登場します。
1563年、信長は本拠を小牧山に移し、以後は番城となりました。
1586年、清洲城を相続した織田信雄によって天守や書院などの造営が行われました。
1610年、名古屋へ城下町を移す「清州越し」が行われ、1613年に清洲城は廃城となりました。
大手橋から見た天守。
清洲城の石垣が復元展示されています。
門の前の塀は熱田神宮の「信長塀」をモデルにしています。
模擬天守は1989年に建てられました。
天守の手前は日本庭園になっています。
天守内部は撮影不可です。展望室から大手橋を見たところ。
東側の清洲城公園から天守を見上げるとこんな感じです。
「清洲ふるさとのやかた」では御城印が販売されています。
朝日遺跡に移動します。清洲城から徒歩10分ほどです。
東海地方最大の弥生集落。弥生時代前期から古墳時代前期(B.C6~A.D4世紀頃)まで営まれました。東西日本の弥生文化をつなぐ役割があったと考えられています。
広場にはおなじみの竪穴住居や高床倉庫が復元されています。
ミュージアムでは珍しい「円窓付土器」が見られます。
史跡 貝殻山貝塚。
尾張地方最古の弥生遺跡。前期弥生文化の東端の遺跡。
第1貝塚。第3まであります。
「交流館」では本物の人骨も見られます。
お昼は地元ラーメン店「信長ラーメン清洲本店」さんで、チャーシュー麺をいただきます。1200円です。あっさりめの豚骨ベースのスープ、トロトロの厚切りチャーシュー、歯ごたえのあるメンマが
特徴です。アクセスは朝日遺跡から徒歩10分、尾張星の宮駅から徒歩5分。
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