城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!
今回のルート:彦根駅東口-佐和山一夜城-清凉寺-龍潭寺-井伊神社-佐和山城-西の丸跡-大曲輪-本丸跡-隅石垣-千貫井-八千代駅前店-彦根市観光案内所
今回は佐和山城をめぐります。
スタートは彦根駅東口です。彦根城の反対側です。
途中にある佐和山一夜。
彦根城築城400年年祭のイベントプロジェクトで製作された模型。
白黒御影石が使われている。高さ2.1m。模型にしてはかなり壮大。
清凉寺。
井伊家菩提寺。井伊直孝が開基した曹洞宗永平寺派寺院。
井伊家代々の墓があります。
井伊神社。1842年、井伊谷八幡宮から井伊大明神を分霊してお祀りしました。
井伊直政、井伊直孝もお祀りされています。
佐和山城跡看板。駐車場にあります。
背後の山が佐和山です。
龍潭寺。733年、行基によって開かれた。「庭の寺」「だるま寺」とも呼ばれる。龍潭寺境内が佐和山ハイキングコース入口です。拝観は有料ですが、山登りとして歩くだけなら無料です。
佐和山城は鎌倉時代、佐保時綱によって築城されました。
後に六角氏の支配となり、戦国時代には浅井氏配下の磯野員昌(いその かずまさ)の本拠となりました。その後、織田信長の湖北侵攻により丹羽長秀が配されます。秀吉の時代には堀秀政、堀尾吉晴と城主が移り、1591年には、秀吉配下の石田三成の居城となりました。
1600年、関ケ原の合戦後は東軍に攻められ城は落城しました。
城には徳川家臣井伊直政が入りますが、1606年、彦根城天守完成に伴い、佐和山城は廃城となりました。
「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」『古今武家盛衰記』と詠われたその城が佐和山城です。
石田三成公像。
山門。佐和山城門を移築したものです。
山道は、道幅が狭く、傾斜が急なため、滑落しそうで怖いです。
塩硝(焔硝)櫓跡。西の丸下段曲輪です。
案内図を見ておきましょう。
佐和山城は主要な曲輪が直線状に並ぶ、連郭式の山城です。
現在地が西の丸下段曲輪、焔硝櫓跡です。この上に中段曲輪、上段曲輪が続き、さらに上が本丸となっています。
北東に二の丸、三の丸が展開し、大手門は東にあったようです。
西の丸跡、上段曲輪です。藪になっています。
本丸跡。
現在ではほとんど遺構が見られませんが、これは彦根城に移る際に城割(破城)が行われたためです。使えるものは彦根城の建材として再利用し、それ以外のものは徹底的に使用不可能にしたのですね。
佐和山城趾碑。
標高233mの山頂からは彦根の町と彦根城が俯瞰できます。天守の奥に見えるのが琵琶湖ですね。
少し下ると隅石垣が遺っていました。本丸石垣の基底部です。
千貫井戸跡。今はもう水溜りのようです。
彦根駅に戻り、西口の「八千代 駅前店」さん。昼食をいただきます。「ひこね丼」と地酒「金亀」。
ひこね丼は近江牛の牛すじを甘辛く煮付けて、上に乗っているのは卵と赤蒟蒻、シラタキなどです。つまりすき焼き丼ですね。やや脂気が多いので、さっぱりしたお酒がよく合います。
彦根駅前の観光案内所では御城印が販売されています。
ご覧いただきありがとうございました。
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