町をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも
今回は埼玉県の飯能駅周辺をめぐります。
スタートは飯能駅です。
今回のルート: 飯能駅・仲町大通り・銀座通り・観音寺・飯能河原・水天宮・飯能中央公園・天覧山・能仁寺・東飯能駅
こちらは南口ですが、自由通路を抜けて北口に出ます。
エスカレーターを上ると、飯能はヤマノススメの舞台ですから、アニメキャラのイラストやパネルなどを見ることもできます。
もちろんアニメをしらなくても十分楽しめます。
駅の構内にある観光案内所です。
ここで「駅からMAP」を入手できます。マップの種類はいくつかありますが、今回は天覧山コースを選びます。飯能駅を出て、観音寺、飯能河原、天覧山、能仁寺をめぐり、また飯能駅に戻るコースです。
MAPではここから天覧山まで目安では3500歩、40分とあります。案内所の方によると50分かかるそうです。概ねこのルートで進みますが、あちこち寄り道をしますし、ゴールも飯能駅ではなく隣の東飯能駅にします。そして動画を撮影しながら歩くので、この目安よりは歩数も距離も時間も余計にかかると思われます。
スタートの段階では、このような数値になっています。
今日は現在までにすでに3847歩、2.5㎞歩いているので、最終的な歩数や距離を計測した後、この数値を引きます。
北口に出ました。
中央通りを歩いていくと広小路という交差点のすぐ脇が袖蔵中清(中清商店)という建物でが見えてきます。袖蔵とは店の脇に設けられた収納蔵です。
重伝建にありそうな建物ですね。
飯能小町公園。
飯能商工会議所前の道路脇にはお土産を販売している自販機が設置されています。
そしてまた歴史のありそうな店蔵絹甚です。内部は一般公開されています。
飯能織物協会組合事務所棟。この建物は大正時代に建てられ、現在では登録有形文化財となっています。
ヤマノススメの聖地、夢彩果すずきさんです。和洋菓子店。
観音寺に到着しました。観音寺は810年創建、真言宗のお寺です。
仏足石、芭蕉句碑、水原秋桜子句碑、寿老人像、飯能鬼子母神なども置かれています。
中でも「鐘楼の白象」は必見。もとはここに釣り鐘がありましたが、戦時中の金属回収令にて回収されてしまいます。檀家の一人が、かわりに張り子の白い像を納めたのが始まりと言われています。
すぐ下の飯能河原に下ります。河原へは中央公民館の階段から下りられます。
が、先に割岩橋に行くことにします。
南側から回り込むと、赤い橋が見えてきます。
ここを渡ります。
下を流れているのは入間川です。上流は特に名栗川と呼ばれているようです。
橋の袂からも河原に下りられそうですが、チェーンが張ってあったので、少し戻り、途中の坂から下りることにしました。
先ほどの公民館から延びる階段はここに続いているようです。
水天宮。ここから河原の遊歩道に入れます。
遊歩道から割岩橋が望めます。
ちょっと珍しい流れ橋。橋脚だけが石で組まれています。流れ橋は沈下橋の一種で、増水時にわざと橋桁を流すことで氾濫を起こしにくくしています。
橋は歩いて渡れますが、板の間に隙間が空いているので、ちょっと注意が必要かも。
いつの間にか陽が傾いてきました。さっさと天覧山に行きましょう。
天覧山の麓、飯能中央公園です。
鉄腕アトム像。1983年に完成しました。手塚治虫さん公認の世界唯一のアトム像です。
ここから入ります。
天覧山。標高197m。もとは愛宕山(あたごやま)、羅漢山(らかんざん)と呼ばれていましたが、1883年、明治天皇が山麓の近衛兵春季小演習を統監したことから「天覧山」と呼ばれるようになりました。
それほどきつい山道ではなく、一般的な低山ハイクといった感じです。
それでも楽々と言った感じではないです。
さてようやく山頂かと思いきや、まだ中断の休憩所でした。トイレと四阿があります。
聖地巡礼ヤマノススメノートも置いてあります。
ここで少し休憩して、再開します。
入口から20ほどで山頂に到着しました。
ごつごつした岩が散らばり、山頂エリアは思ったより狭い印象でした。
東京方面。新宿の高層ビルや、池袋サンシャィン、スカイツリーなどが見えるそうですが、どれがそうなのか、よく分かりませんでした。
こちらは富士山が望めるそうですが、コンディションが悪いのか、こちらも見えませんでした。
山頂までの数値はこうなりました。14:47。歩行距離9.1㎞。歩数13551歩。スタートから3時間1分。6.6㎞、9704歩歩きました。あちこち寄り道して、適当に休憩して、ポケモンGoをやっていましたからね、3500歩、40分で来られるわけはありません。
帰りは西側の能仁寺経由で、東飯能駅に向かいます。
能仁寺は1501年創建の曹洞宗のお寺です。
1698年の飯能戦争では、振武軍がここを本陣としました。
飯能戦争とは戊辰戦争の局地戦で、当時の飯能村周辺で起こった、新政府軍と旧幕府軍の戦いです。
渋沢成一郎や尾高惇忠らによって結成された振武軍がここに本陣を置き、新政府軍と戦いましたが、振武軍は壊滅、戦闘によって能仁寺は炎に包まれ陥落しました。また渋沢栄一の従弟で見立て養子だった渋沢平九郎は顔振峠(かあぶりとおげ)で自決しました。
能仁寺山門です。
ゴール。東飯能駅「ひがはん」です。JR八高線と西武池袋線が乗り入れています。
計測は最終的にはこうなりました。ここまでで、16:20。13.2㎞。19658歩。スタートから4時間34分、10.7㎞。15811歩。10㎞、10000歩を超えているので、まあそれなりには歩きましたね。
ご覧いただきありがとうございました。
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