5億円のヤミ献金疑惑で、『検察は正義をおこなっているのか!』と怒った一人の男が、検察庁の看板に黄色いペンキを投げつけ、特捜部のメンツは丸つぶれになり、その後、議員辞職、逮捕、起訴となった。

 

 1992年の東京佐川急便事件では、5億円の政治献金が明らかになった自民党の金丸信・元副総理が略式起訴となり、抗議した男が検察庁の看板に黄色いペンキをかける事件が起きた。泉房穂氏 玉川徹氏に共闘“打診” 検察庁に「黄色いペンキをもって、一緒に行きましょうか」― スポニチ Sponichi Annex 社会

 

 東京佐川急便オーナー経営者らによる巨額の特別背任事件の捜査を経て、当時「政界のドン」「キングメーカー」と呼ばれていた金丸信自民党副総裁が、オーナー経営者から5億円もの闇献金を受けていた疑いが浮上しました。東京地検特捜部は92年8月、金丸氏に出頭を要請しますが、金丸氏は代理人を通じて5億円の受け取りと政治資金規正法違反の容疑を認める上申書を提出して、出頭には応じませんでした。政治資金の無届けは当時、最高刑が罰金20万円で、禁固刑や懲役刑の罰則がなく、特捜部は逮捕も事情聴取もしないまま9月に略式起訴し、金丸氏側が罰金20万円を支払って捜査は終結してしまいました。
 この結末に対して世論の批判は検察に向かい、表札にペンキがかけられました。私の記憶では、このときのペンキは黄色でした。「検察は正義を行っているのかあ」と叫びながら近づいた男性が瓶入りのペンキを投げつけ、その場で警備員に取り押さえられたと報じられました。男性は公判で、巨悪の摘発を特捜部に期待していたのに裏切られて腹が立った、という趣旨の供述をしました。検察への批判は、翌93年3月に特捜部が、ひそかに金丸氏周辺の内偵を進めていた東京国税局との合同捜査で金丸氏の巨額脱税を暴き、逮捕するまで続きました。おおむね以上のように記憶しています。

 

この金丸氏の逮捕によって検察は面目を施し、以後、仙台市長や茨木茨城県知事を逮捕するゼネコン汚職捜査へと進みました。一時的に地に墜ちていた威信もその以前と同じように取り戻し、特捜検察は「正義の味方」であるかのように、マスメディアももてはやす状況が続いていきました。実は、マスメディアの「権力の監視」はそうした特捜検察にも向けられていなければならなかったはずですが、そうした報道はほとんど目にすることがありませんでした。そして2010年、大阪地検特捜部の検事が証拠に不正に手を加えていたことが発覚しました。証拠改ざん・隠ぺい事件です。結果的に特捜検察は驕るだけ驕ってしまい、結果を出せば何でも許されると思ったのか、証拠に手を加える検事が出てくるまでに堕落してしまいました。それは一面では、マスメディアが特捜検察を極限まで増長させてしまったことの帰結でもあったのだと、私は考えています。

25年前の検察庁ペンキ事件―特捜検察の威信とマスメディア - ニュース・ワーカー2 (hatenablog.com)

 

大阪地検特捜部の容疑捏造事件はいうに及ばず、最近では公安主導の容疑捏造事件にも東京地検特捜部が関与していたなど検察への信頼は完全に地に堕ちている。

 

ちゃんとした捜査をしないのなら組織として不要であるから、特捜部などは公安とともに廃止して浮いた金を国防や災害対策に回さなければならない。