「安倍政権退陣」 国会前集会 

「首相聞く耳持ってない」 国会前で退陣求める集会 

国会議事堂前でデモ 与党の強硬な国会運営に抗議の声

 

聞く耳も何もやることなすことすべて失政、しかもそれを反省することもなく、人の話に耳を傾けることもしない。

 

国会で災害対応の不首尾を糾されると自分の殻に閉じこもって答弁ではなく「万全の対応をしてきた・・・」の官僚ペーパー読みを繰り返すのみ。

 

そして無責任な経団連が持ち込み法案成立を急かせた「裁量労働制改悪法案」が暗礁に乗り上げるやデータの不備の責任をすべて官僚(厚生労働省労働基準局長ら)に擦り付けて(本来これは提案者である経団連が行うべきもの。前提が曖昧な中で官僚を責める筋合いのものではない)経団連のかく乱責任を一切不問に付すという身内最優先だ。

 

将来経団連トップになるといわれる実兄 安倍寛信(三菱商事執行役員)への事前利権誘導の一環であろう。

 

どうしてこのような人格の欠如したモンスターが政治だけでなく立法・司法を牛耳る独裁を始めるに至ったか。

 

それは祖父 安倍寛氏に始まる一族の系譜を紐解くしかあるまい。

 

安倍晋三が母方の祖父・岸信介を敬愛していることは、あらためて記すまでもない。だが安倍には、もうひとつの系譜がある。父方の祖父・安倍寛もまた戦前・戦中に衆院議員を務め、実は相当に反骨な反戦政治家だった。なのに、このことはあまり知られていない。

 

その息子であり、晋三の父でもある晋太郎は、父・寛に憧れて政治の道を志し、口癖のように周辺者にこう語っていたという。

「オレは岸信介の女婿じゃない。安倍寛の息子なんだ」

岸の娘・洋子との結婚が晋太郎の政界における跳躍台になったことは否めないが、「安倍家」という視座で眺めた場合、岸信介ではなく、国政への第一歩を記した安倍寛こそが政治のルーツにほかならない。なのに、安倍晋三が父方の祖父に言及することは皆無に近い。

安倍寛とはどんな男だったのか。そして、安倍晋太郎とは。取材は1年以上に及んだ。ずいぶん苦労はしたが、安倍寛は魅力的な男だった。安倍晋太郎も、ノンフィクションライターの心を躍らせる数々のエピソードの持ち主だった。ではいったい安倍晋三はどうか——。

失礼ながら、恐ろしくつまらない男だった。少なくとも、ノンフィクションライターの琴線をくすぐるようなエピソードはほとんど持ち合わせていない男だった。

言葉を変えるなら、内側から溢れ出るような志を抱いて政治を目指した男ではまったくない。名門の政治一家にたまたま生を受け、その“運命”やら“宿命”やらといった外的要因によって政界に迷い込み、与えられた役割をなんとか無難に、できるならば見事に演じ切りたいと思っている世襲政治家。

その規範を母方の祖父に求めているにせよ、基礎的な教養の面でも、政治思想の面でも、政治的な幅の広さや眼力の面でも、実際は相当な劣化コピーと評するほかはない。

だからこそ、逆に不気味で薄ら寒い日本政治の現在図が浮かびあがってくる。このような男が政界の階段をあっという間に駆け上がり、父方の祖父も父も射止められなかった宰相の座をやすやすと射止め、しかも「歴史的」な長期政権を成し遂げつつあるのはなぜか。戦後70年、営々と積み重ねてきた矜持が、劣化コピーのごとき世襲政治家の後づけ的思想によって次々と覆されてしまっているのはいったいなぜか。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50968?page=3

 

残念ながらこの中の引用書を紐解いても答えはわからない。

 

ただ言えるのは、非嫡出子ではあるが家柄にふさわしい優秀な遺伝子を受け継いだ長兄だけだった頃の順風満帆だった晋太郎を襲った岸信介の呪縛だ。

 

それは子への命名にも表れている。

 

最初、晋太郎と岸の娘 洋子との間に子はいなかった。

 

妾腹の長子が生まれその子が頗る利発で、晋太郎だけでなく岸自身も大きな期待を抱いていたことがわかる。

 

長男の名は寛信、安倍寛の寛と、岸信介の信をとったこれ以上ないほどの期待を受けた命名だ。

 

彼は父や祖父の期待通りに東大法学部を卒業するがのちに嫡出子である晋三が生まれたため後継者にはなれなかった。

 

この晋三、小学校の頃家庭教師を務めた東大生 平沢勝栄(衆院議員)がさじを投げるほど勉強嫌いで遊び惚けてばかりいる落ちこぼれだった。

 

ところが、最初は寛信に絶大な期待をかけていた岸も、自分のDNAを受け継いだ孫への「孫バカ」には勝てず、決して利発とはいえずまた幼いころから都合の悪いことはすべて他者に擦り付ける劣化コピーである晋三を偏愛するようになるが、その岸が長い間晋太郎を縛り、最大の懸案である正当な後継者の指名についての呪縛を穏然と継続したがゆえに心労によって晋太郎の持病が悪化してその寿命を縮めることになった。

 

晋太郎としてはこの問題児ではなく、出来のいい寛信を後継者にできないかということでギリギリまで機会をうかがっていたというが、予想に反してやけに長命であった岸の呪縛に悩まされ続けて岸の他界後わずか1年で病死した。

 

そもそも父 安倍寛を急に失い準備も整わぬ中、政治の道をいったんあきらめざるを得なかった晋太郎に娘との縁談を持ち掛けたのは岸のほうである。

 

戦争遂行責任者の一人でありながら皇族でも、近衛文麿のようにその親戚でもない岸が戦犯指定から外された経緯について、当時から山本五十六元帥撃墜事件をはじめ、米国と戦時中から通謀していた疑惑が取りざたされて頗る評判が悪かったわけだが、岸はそれを払しょくし国賊というレッテルを薄めるために翼賛国会の中での真の愛国者として地元での評判もよかった安倍寛の名声を悪用するためであったことは間違いない。

 

安倍晋三という劣化コピーの台頭にはそれへ政権を禅譲した小泉純一郎という、雇用と建築をはじめあらゆる日本のインフラを破壊した歴史汚点としての国賊抜きには語れないが、その夾雑物の台頭を許したのがほかならぬ、20世紀末から21世紀にかけてのリーダーの欠落だ。

 

渡辺美智雄、安倍晋太郎、そして加藤紘一・・・首相に当然なっていたであろう人物が急死や自滅で次々と姿を消していったことが、ミーハーで中身を見ない日本人の属性を背景に国賊たちの台頭を許し、滅亡に瀕する日本の寿命短縮にとどめを刺すことになった。