房総の子江戸、大多喜(夷隅郡大多喜町)NO 908
NO 908
勝浦で担々麺をいただいて、帰り道に大多喜まで来ました
遠く離れた所からでも見える大多喜城
町のシンボルとなるお城が在るっていいですね!
私の住んでる所には何も象徴するものがありません
在るとすれば毎年、春先におこる『砂ぼこり!』位でしょうか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/56/3b/j/o0480064013217429614.jpg?caw=800)
城下町大多喜は房総中往環に添って南から
柳原町、新町、桜台町、久保町、猿稲町、田町、紺屋町と並び
この七町を『根小屋七町』と呼ぶそうです!
城主 松平氏の時代には三口と鍛冶に木戸が設けられていたそうです!
当時はこんな木戸があったのでしょうか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/db/f0/j/o0480064013217429617.jpg?caw=800)
大多喜の地名も鎌倉時代には伊北庄(伊保庄)に属し
室町時代、安土桃山時代になると『小滝』
『小田喜』と呼ばれ
江戸時代初期には『大田喜』中期頃には『大多喜』
江戸時代が終るまでは『大滝』『大田木』とも記されていたと言います
明治時代に入ると現在の『大多喜』が広く使われるようになったそうです!
大多喜町に二つしかないセブンイレブンの内のひとつ
『上総大多喜駅前店』の隣に
『渡辺家住宅』と言う昔ながらの住宅が残っています!
この住宅はなんと!国の重要文化財に指定されています
嘉永2年(1849年) 地元猿稲町の棟梁
『佐治兵衛』によって建てられた江戸末期の代表的な商家造りです!
寄棟棧瓦葺の2階建てで創建時は、茅葺き屋根でした
正面入口は縦格子戸を表板戸に付けてあります
間取りはお店、茶の間、中の間、奥座敷となっていて
南に勝手の間、土間があります
奥座敷の床の間は重厚のある武家造り、風付書院、竿緑天井、箱階段
欄間の透かし彫り等、各部に雅趣と優れた技法が見られるそうです
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/16/kawasemi726/66/65/j/o0480064013217829924.jpg?caw=800)
店構えや整った座敷等、この時代の上層商家の規模が良く示された貴重な建物です
またこの家には慶応4年(1868年)に
房総鎮撫副総監『柳原前光』が
宿泊した記念の資料が残っているそうです
そしてお城の南を流れる柳原、新町辺りの夷隅川を昔は三口川と呼んだそうです
文政5年(1822年)この川に架けられた橋の由来について
『三口橋ノ碑』と言うのがありました!
漢文で書いてあり、およそ次のように記されていると言うのです
※この地は房総の主要な街道にあたり
平時は水は清く浅瀬を渡る事が出来ますが
ひと度大雨が降ると流れも急になって
旅人や地元の人達が難儀したと言うのです!
町の商人で与兵衛と言う人がこの事を心配して
橋を架けようと地域の人達に呼びかけ
その協力に寄って幅1.5㍍長さ75㍍の橋が完成しました
橋は虹を臥せたように長大でどのような
激流にも動く事なく人々を難儀から救いました※
一町民の呼びかけに多くの人が答えて
長く後の世に役に立つようにした事は
誠に素晴らしい事ですね!m(__)m
碑文は文政13年(1830年)6月
当時、江戸で学名の高かった『安積艮斉』の作で
書は江戸の書道家鈴木清熙
艮斉は文政12年に大多喜藩校を『明善堂』と命名するなど
大多喜藩にもゆかりの深い学者で
嘉永3年(1850年)幕府学問の教授に招かれています
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/ff/46/j/o0480064013217429627.jpg?caw=800)
その渡辺家住宅、セブンイレブンと並んであるのが『房総中央鉄道館』
昭和初期から運行した旧国鉄木原線
(現、いすみ鉄道)や
外房等の行先方向板や動く鉄道模型等
1000展余りが展示されていました!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/19/7c/j/o0480064013217429628.jpg?caw=800)
養老渓谷から都市部までの風景がジオラマで再現されていて
約1キロの模型路線がしかれていて
県内最大の鉄道館だそうです
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/af/be/j/o0480048013217429632.jpg?caw=800)
開館は土日祝日のみで10:00~15:30まで
入場料大人200円小人100
いすみ、小湊鉄道の房総横断切符があれば半額になるそうです!
千葉県夷隅郡大多喜町久保102
TEL 0470-82-5521
今回、橋を架けようとした一町民の話には感動しました!
大多喜町の歴史を探るには
やはり歩いてみないと分からないと思います!
車は点と点!通り過ぎてしまいます!
ちい散歩がなつかしい?
歩けば歩く程、色んな事が目の前に現れます!
ゆっくりと大多喜の町を歩いてみると
まだまだ新しい発見があるのではないでしょうか?
長々と今回、お付きあいありがとうございました!
m(__)m
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勝浦で担々麺をいただいて、帰り道に大多喜まで来ました
遠く離れた所からでも見える大多喜城
町のシンボルとなるお城が在るっていいですね!
私の住んでる所には何も象徴するものがありません
在るとすれば毎年、春先におこる『砂ぼこり!』位でしょうか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/56/3b/j/o0480064013217429614.jpg?caw=800)
城下町大多喜は房総中往環に添って南から
柳原町、新町、桜台町、久保町、猿稲町、田町、紺屋町と並び
この七町を『根小屋七町』と呼ぶそうです!
城主 松平氏の時代には三口と鍛冶に木戸が設けられていたそうです!
当時はこんな木戸があったのでしょうか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/db/f0/j/o0480064013217429617.jpg?caw=800)
大多喜の地名も鎌倉時代には伊北庄(伊保庄)に属し
室町時代、安土桃山時代になると『小滝』
『小田喜』と呼ばれ
江戸時代初期には『大田喜』中期頃には『大多喜』
江戸時代が終るまでは『大滝』『大田木』とも記されていたと言います
明治時代に入ると現在の『大多喜』が広く使われるようになったそうです!
大多喜町に二つしかないセブンイレブンの内のひとつ
『上総大多喜駅前店』の隣に
『渡辺家住宅』と言う昔ながらの住宅が残っています!
この住宅はなんと!国の重要文化財に指定されています
嘉永2年(1849年) 地元猿稲町の棟梁
『佐治兵衛』によって建てられた江戸末期の代表的な商家造りです!
寄棟棧瓦葺の2階建てで創建時は、茅葺き屋根でした
正面入口は縦格子戸を表板戸に付けてあります
間取りはお店、茶の間、中の間、奥座敷となっていて
南に勝手の間、土間があります
奥座敷の床の間は重厚のある武家造り、風付書院、竿緑天井、箱階段
欄間の透かし彫り等、各部に雅趣と優れた技法が見られるそうです
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/16/kawasemi726/66/65/j/o0480064013217829924.jpg?caw=800)
店構えや整った座敷等、この時代の上層商家の規模が良く示された貴重な建物です
またこの家には慶応4年(1868年)に
房総鎮撫副総監『柳原前光』が
宿泊した記念の資料が残っているそうです
そしてお城の南を流れる柳原、新町辺りの夷隅川を昔は三口川と呼んだそうです
文政5年(1822年)この川に架けられた橋の由来について
『三口橋ノ碑』と言うのがありました!
漢文で書いてあり、およそ次のように記されていると言うのです
※この地は房総の主要な街道にあたり
平時は水は清く浅瀬を渡る事が出来ますが
ひと度大雨が降ると流れも急になって
旅人や地元の人達が難儀したと言うのです!
町の商人で与兵衛と言う人がこの事を心配して
橋を架けようと地域の人達に呼びかけ
その協力に寄って幅1.5㍍長さ75㍍の橋が完成しました
橋は虹を臥せたように長大でどのような
激流にも動く事なく人々を難儀から救いました※
一町民の呼びかけに多くの人が答えて
長く後の世に役に立つようにした事は
誠に素晴らしい事ですね!m(__)m
碑文は文政13年(1830年)6月
当時、江戸で学名の高かった『安積艮斉』の作で
書は江戸の書道家鈴木清熙
艮斉は文政12年に大多喜藩校を『明善堂』と命名するなど
大多喜藩にもゆかりの深い学者で
嘉永3年(1850年)幕府学問の教授に招かれています
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/ff/46/j/o0480064013217429627.jpg?caw=800)
その渡辺家住宅、セブンイレブンと並んであるのが『房総中央鉄道館』
昭和初期から運行した旧国鉄木原線
(現、いすみ鉄道)や
外房等の行先方向板や動く鉄道模型等
1000展余りが展示されていました!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/19/7c/j/o0480064013217429628.jpg?caw=800)
養老渓谷から都市部までの風景がジオラマで再現されていて
約1キロの模型路線がしかれていて
県内最大の鉄道館だそうです
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/06/kawasemi726/af/be/j/o0480048013217429632.jpg?caw=800)
開館は土日祝日のみで10:00~15:30まで
入場料大人200円小人100
いすみ、小湊鉄道の房総横断切符があれば半額になるそうです!
千葉県夷隅郡大多喜町久保102
TEL 0470-82-5521
今回、橋を架けようとした一町民の話には感動しました!
大多喜町の歴史を探るには
やはり歩いてみないと分からないと思います!
車は点と点!通り過ぎてしまいます!
ちい散歩がなつかしい?
歩けば歩く程、色んな事が目の前に現れます!
ゆっくりと大多喜の町を歩いてみると
まだまだ新しい発見があるのではないでしょうか?
長々と今回、お付きあいありがとうございました!
m(__)m
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