房総の子江戸、大多喜(夷隅郡大多喜町)NO 908 | 房総ENJOY-LIFE、

房総の子江戸、大多喜(夷隅郡大多喜町)NO 908

NO 908
勝浦で担々麺をいただいて、帰り道に大多喜まで来ました
遠く離れた所からでも見える大多喜城

町のシンボルとなるお城が在るっていいですね!

私の住んでる所には何も象徴するものがありません

在るとすれば毎年、春先におこる『砂ぼこり!』位でしょうか?

城下町大多喜は房総中往環に添って南から
柳原町、新町、桜台町、久保町、猿稲町、田町、紺屋町と並び

この七町を『根小屋七町』と呼ぶそうです!

城主 松平氏の時代には三口と鍛冶に木戸が設けられていたそうです!

当時はこんな木戸があったのでしょうか?

大多喜の地名も鎌倉時代には伊北庄(伊保庄)に属し

室町時代、安土桃山時代になると『小滝』
『小田喜』と呼ばれ

江戸時代初期には『大田喜』中期頃には『大多喜』

江戸時代が終るまでは『大滝』『大田木』とも記されていたと言います

明治時代に入ると現在の『大多喜』が広く使われるようになったそうです!

大多喜町に二つしかないセブンイレブンの内のひとつ
『上総大多喜駅前店』の隣に
『渡辺家住宅』と言う昔ながらの住宅が残っています!

この住宅はなんと!国の重要文化財に指定されています

嘉永2年(1849年) 地元猿稲町の棟梁
『佐治兵衛』によって建てられた江戸末期の代表的な商家造りです!

寄棟棧瓦葺の2階建てで創建時は、茅葺き屋根でした

正面入口は縦格子戸を表板戸に付けてあります
間取りはお店、茶の間、中の間、奥座敷となっていて
南に勝手の間、土間があります

奥座敷の床の間は重厚のある武家造り、風付書院、竿緑天井、箱階段

欄間の透かし彫り等、各部に雅趣と優れた技法が見られるそうです


店構えや整った座敷等、この時代の上層商家の規模が良く示された貴重な建物です

またこの家には慶応4年(1868年)に
房総鎮撫副総監『柳原前光』が
宿泊した記念の資料が残っているそうです

そしてお城の南を流れる柳原、新町辺りの夷隅川を昔は三口川と呼んだそうです

文政5年(1822年)この川に架けられた橋の由来について
『三口橋ノ碑』と言うのがありました!

漢文で書いてあり、およそ次のように記されていると言うのです

※この地は房総の主要な街道にあたり
平時は水は清く浅瀬を渡る事が出来ますが

ひと度大雨が降ると流れも急になって
旅人や地元の人達が難儀したと言うのです!

町の商人で与兵衛と言う人がこの事を心配して
橋を架けようと地域の人達に呼びかけ

その協力に寄って幅1.5㍍長さ75㍍の橋が完成しました

橋は虹を臥せたように長大でどのような
激流にも動く事なく人々を難儀から救いました※

一町民の呼びかけに多くの人が答えて
長く後の世に役に立つようにした事は
誠に素晴らしい事ですね!m(__)m

碑文は文政13年(1830年)6月
当時、江戸で学名の高かった『安積艮斉』の作で
書は江戸の書道家鈴木清熙

艮斉は文政12年に大多喜藩校を『明善堂』と命名するなど

大多喜藩にもゆかりの深い学者で
嘉永3年(1850年)幕府学問の教授に招かれています

その渡辺家住宅、セブンイレブンと並んであるのが『房総中央鉄道館』

昭和初期から運行した旧国鉄木原線
(現、いすみ鉄道)や
外房等の行先方向板や動く鉄道模型等
1000展余りが展示されていました!

養老渓谷から都市部までの風景がジオラマで再現されていて

約1キロの模型路線がしかれていて
県内最大の鉄道館だそうです

開館は土日祝日のみで10:00~15:30まで
入場料大人200円小人100
いすみ、小湊鉄道の房総横断切符があれば半額になるそうです!

千葉県夷隅郡大多喜町久保102
TEL 0470-82-5521

今回、橋を架けようとした一町民の話には感動しました!

大多喜町の歴史を探るには
やはり歩いてみないと分からないと思います!

車は点と点!通り過ぎてしまいます!
ちい散歩がなつかしい?

歩けば歩く程、色んな事が目の前に現れます!

ゆっくりと大多喜の町を歩いてみると
まだまだ新しい発見があるのではないでしょうか?

長々と今回、お付きあいありがとうございました!
m(__)m


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