以前山岳事故から学ぶという投稿をしましたが、未だに変わらず山岳事故関連の動画を見漁っています。
事故の話なので、残念ながら人が亡くなる話も多いのですが、生死を彷徨うような厳しい話を沢山聞くようになり、最近は普通に生きていることの有難みを実感しています。
最近見た中でとても心に残った話があります。
私は初めて知ったのですが、世間的には有名な話なので、知っている方もいるかもしれません。
時は1981年6月、中国にあるボゴダ氷河のヒドン・クレバスに、京都山岳会登山隊の白水ミツ子隊員が転落してしまいました。
白水隊員は、チーム(パーティー)の中でもムードメーカー的な存在で、周囲のメンバーに対して、凄く気が回る気遣い屋さんだったそうです。
クレバスというのは、氷河と氷河の間にある溝のことで、転落したら非常に危険です。
ヒドンというのは、hidden、隠れたという意味で、溝の上の部分だけ雪に覆われていたりして、一見するとクレバスだと分からないのです。
白水隊員は、そのヒドン・クレバスの上に乗ってしまい、転落してしまったのです。
すぐに同行者が救助を要請し、数時間後に同じパーティーの隊員が到着し、ロープを付けて下に降りていきます。
地上では80cmほどあった溝の幅も、降りていくと狭くなっていて、それ以上下には降りられません。
途中で白水隊員のザックが引っ掛かっているのを発見しますが、そこに白水隊員の姿はありません。
恐らく転落した際に勢いがついていたので、ザックだけ引っ掛かり、本人は狭いスペースでもすり抜けてしまったのでしょう。
救助に向かった宮川隊員も、10m近く降下しましたが、そこで詰まってしまい、白水隊員に大声で呼びかけます。
するとかなり下の方から、白水隊員の返事が聞こえたそうです。
そこで白水隊員に向かって別のロープを垂らします。
クレバスの底までは、思った以上に距離があったそうです。
手応えを感じて引き上げるも、残念ながら白水隊員の姿はありません。
転落の際に、何度も激突を繰り返し、大怪我を負っていたのだと思われます。
すると底の方から「宮川さん、もういいよ。私ここで死ぬから。宮川さん、奥さんも子供もいるから。危ないからもういいよ。」という声が聞こえてきたそうです。
数メートル先に白水隊員の存在を確認できるのに、何ともやり切れない状況です。
その後もしばらく、パーティーは懸命な救助を続けますが、夜9時頃救助の打ち切りを決断します。
たった数秒の転落。
つい先程まで何の問題もなかった所から、一瞬で死を待つのみという状況に変わってしまったのです。
そんな状況で発せられた宮川隊員を気遣う言葉。
それによって自分の死を受け入れることになっても、相手を気遣える白水隊員の言葉には、感銘を受けました。
それから14年後、現場付近で白骨化した遺体が発見され、白水隊員の遺体だと確認されました。
遺体が発見されたのは、せめてもの救いだったと思います。
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