2024年4月29日18時7分、母は亡くなった。


人は慣れてしまうと、車椅子生活でも元気そうだからまだ大丈夫。あまり話せなくなっても意思表示はしっかりしているから大丈夫。眠る時間が長くなっていても起きてるときはアイスやデザートをよく食べているから大丈夫。


その状況に常に寄り添っていると、本当はいつ亡くなってもおかしくない、来週など無い、ということがわからなくなっていた。


歩けなくなる。話せなくなる。鼻呼吸から口呼吸になる。痛みを我慢する時間が増える。一つひとつの症状をちゃんとみていれば、まだ大丈夫どころか明日は無いことを、自覚し今日出来る精一杯のことが出来たはずだ。

まだ大丈夫、と思い込み、3週間傍にいた後、一日不在にした日に亡くなってしまった。考えがあさはかであった。


母の口から、ゴールデンウィークのこと、翌月の外来診察のこと、聞かれたが、それは叶わなかった。聞かれた時の直感では、一日も欠かしてはいけないことに気づいていたはずなのに。


現実をしっかり見つめ理解してなかったことに、後悔したくないが、悶々とした気持ちが消えない。