人間が集まると必ず意見の対立や派閥が生まれます。互いに自分の主張を通そうとしていがみ合い、その間で巧みに立ち回る人間が現れ、両者の溝はどんどん深まります。互いに脚の引っ張り合い、本来の目的を見失ない、自分たちの損得勘定で離合集散を繰り返し「勝った」「負けた」の飽くなき闘いを続ける。


バタフライ・エフェクトという言葉を聞いたことはありますか?ほんの些細な事の始まりが、さまざまな要因を引き起こした後、非常に大きな事象の引き金に繋がる考え方。些細ないがみ合いが、やがてその組織を超えてあらゆる組織に拡がり、国を越え地球全体に影響を及ぼします。頑なな持論は、世界を破滅させる危険性があります。世界なくして私たちは存在しません。

まず自身の罪を認めること。組織が分裂しないことを最優先にする。分裂する可能性がある物事は、組織の規則としてやってはならないことと定める。


日本人は、もともと自分の主張ばかり考える前に他人を思いやる和の精神がありました。

聖徳太子の『十七条憲法』に「和を以て貴しとなす」という「和の精神」があります。お互いがそれぞれの良いところを認め合って協力し「一つのものを創り出そう」とする「和」の精神こそ、日本文化の中心に据えられているものです。


一方、西洋の「個人主義」は自由主義や民主主義を生んできました。自らの権利を主張すると同時に、反対に、相手の権利も認め互いの利害関係がぶつかり合えば調整する。しかし「個」が際立ってくると、例えば学問においても細分化、専門化していき「木を見て森を見ず」と、大局的な視点が失われがちになります。

個人の能力を高め、その能力に見合った報酬を得ることが向上心へ繋がり、社会は進歩、発展していく側面もあります。しかし利己主義が蔓延し、対立が生じ、諍いは収まることがありません


西洋文明がこのように「個」を重んじ「文化」することを特徴とするならば、東洋的な文明は「全体」をまとめ「統合」することを特徴としています。これは「和」の精神から生まれるものです。西洋では子どもの教育においても小さい時から、なるべく親と子どもの部屋を分けてるのに対し、日本では子どもが物をもらえば親がお礼を言う、家族としての一体感を当然とします。


この「全体」をまとめ「統合」することから「徳」という考え方が生まれてきます。


」の漢字は、「直心を行う」と書きます。徳は、他を活かす行い、利他の行いによって育まれます。

日本文化、和の精神、「徳」を持つ君子が、争いや組織の分裂を防ぐ大切な存在となります。

私たちは、その君子を選び、組織で機能させる力を持っています。

一人ひとりが組織を分裂させない和の精神を持ち、君子を引き立てるなら、良い組織、良い国づくりが可能となります。


これは、国づくりに限らず会社や家庭でも参考になります。


参考

日本国精神通義、日本精神の研究 安岡正篤