写真には様々な分野がある。大まかにいっても、風景、動植物、スポーツ、乗り物、人物など、この世のすべてが撮影対象になっていると言っていい。
私もいくつかの分野の撮影を経験している。前にも述べたように、きっかけは小中学生の頃の鉄道だったが、日常風景ばかり撮っていた時期があったり、富士山の撮影に行ったり、ポートレートを撮ったりした。現在は川根が『本拠地』であるから鉄道中心ということになるが、それでも意識としては『目に映るものすべて』だから、鉄道だけというわけではない。
以前、富士山の撮影に行った時、たまたま出会った撮影者に普段は何を撮っているのかを聞かれ、鉄道だと答えると『ふん、鉄道ね…』という反応をされたことがある。馬鹿じゃないか、こいつ。
言うまでもなく、写真のジャンルに優劣などない。自然風景が高尚で乗り物が低俗なんてことは絶対にない。それぞれがその道を極めようとし、その険しさは同じなのだ。
鉄道写真においても、風景的な絵が高尚で、編成写真や形式写真は低俗、などと思っている輩がいる。笑止な。きちんとした編成写真を撮ることは想像以上に難しい。そして、鉄道写真の基本なのだ。花を入れる、人を入れる、SLをアップで撮る、俯瞰してみる、などの応用は、基本ができていることが前提となる。もちろん、それに捉われすぎると自由な発想ができないという懸念はあるのだが、それはレベルの違う話だ。
人は、何にでも優劣をつけたがる。しかし、そうすべきこととそうでないことがあるのだ。当たり前だ、と思うかもしれないが、それが出来ていないから、歴史的にも様々な差別を生んだりするのだ。気をつけなければならない。