○ 西蓮寺 (さいれんじ)  (東吹下/浄土宗)

  寛永の頃(1624〜1644)河南友房の3男長三郎が小庵を建立、後に厳誉上人が中興し、西蓮寺と改めた。当寺の裏山の墓地内に、宝永5年(1708)に建立された、篠山藩の長刀指南であった天道流剣客、日夏弥助の墓がある。墓の碑文には、弥助の出生と松平家3代にわたって指南役を勤めた経歴、貞享3年(1686)6月29日篠山で没したことが記されている。

 ○ 大国寺  (味間奥/天台宗)

  縁起によると大化年間(645〜650)空鉢仙人の開基と伝える。その後幾度かの戦乱により荒廃したが、正和年間(1312〜1317)花園天皇の帰依によって再興されたと伝えられる。  藤原期の仏像5躯(大日如来2躯、阿弥陀如来、持国天、増長天)は、国指定の重要文化財として大正11年に指定された。本堂は和様と唐様の折衷様式で、昭和36年に同じく国の重要文化財に指定されている。同寺には満願寺の本尊木造阿弥陀如来坐像が合祀されている。この寺は戦国時代の武将波多野秀治供養のために子孫が建立した寺で、明治以後廃寺となり、仏像は大国寺へ移された。 (おわり)