(「多紀氷上・人名鑑」による)

 〇河南多三郎 助役/郡参事会員  ・・・多紀郡味間東吹村  

 河南家は同地において名家で、氏は1872(明治5)年7月生で先代河南忠右衛氏の長男で、母は団野記平治氏の妹である。

鳳鳴義塾中途退学、明治法律学校、第3高等中学校医学部薬学を学ぶが家事の都合中途退学。明治31年金融株式会社入社、取締役常務取締役。 明治39年味間村助役、村会議員、多紀郡会議員。45年郡教育会理事、郡参事会員、この間氏は耕地整理事業に腐心・努力し大正5年組合長となる。味間吹両校合併に関しても尽力し建築委員長となり推進した。キリスト教の長老、夫人は有名な河南こみつ女史。特に吹耕地整理事業の大功労者である。     (おわり)