その昔、私が中学1年生くらいの頃、正森成二さんが日本共産党から国政選挙に立候補しました。

沖縄の人が多く住む大正区では、まだ新人で、知名度も低い正森さんの応援に、沖縄から瀬長亀次郎さんが来ていました。

宣伝カーの後ろに、正森成二さんと瀬長亀次郎さんが立って手を振りながら、瀬長亀次郎さんが正森成二さんの押し出しをしていました。

しかし、正森さんそっちのけで、瀬長さんの声が聞こえてくるやいなや、あちこちから、人々が駆け出して来て、『カメジロー!カメジロー!』と宣伝カーを追いかけて行くーその光景が目に焼き付いて離れません。

足元は、ツッカケを履くのももどかしかったのか、片方、または両足裸足のままの人々、『カメジロー、カメジロー』と若者も老人も、男も女も、みんな泣きながら、必死に宣伝カーを追いかけて行きます。

ああ、沖縄の人々にとって、瀬長亀次郎は『我らが英雄』なのだ。

泣きながら追いかける『我らが英雄』があるくらい、それくらい、沖縄の人々は虐げられてきはったのだと、まだ中学生の私でも思い至りました。

ついこの間の名護市長選挙で、札束で顔を張られるようなことがありながら、それでも自分たちの選択をしっかりと示した沖縄の人々のその誇り高さ。

私たちも沖縄の人々の闘いに呼応して、運動を進めていくことが、今本当に必要なことだと感じています。

私たちの誇りにかけて。

photo:01




iPhoneからの投稿