雰囲気で「沖縄平和の旅いわて」に参加し、沖縄県民に対するアメリカ基地の影響を感じてきました。
沖縄平和の旅は、1月28日~31日までの3泊4日でしたが、地図上では狭い沖縄ですがハードスケジュールの日程でした。出発した日は、矢巾は雪降りの気温-5度という寒い朝でしたが、仙台空港11時飛び立ち、午後1時の那覇空港は17度と岩手県矢巾町とは20度近くの気温の差があり岩手に帰ってからが大変でした。
那覇航空には、至る所に彩とりどり胡蝶蘭の鉢が飾られ、胡蝶蘭の展示会に来た感覚になったのは忘れられません。幸せと不安は身近にある地は、この沖縄県のことかなとも那覇空港から最初の予定地糸数アブチラガマに行く途中アメリカ基地が身近にあることに気づかされ、不安を感じました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191017/14/kawamurasan-1952/87/98/j/o0768102414616873450.jpg?caw=800)
那覇空港内は、彩様々な胡蝶蘭に囲まれた装いでまさか軍用機が飛び立つ基地が隣あわせにあるとは思えないものを感じてしまいました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191017/14/kawamurasan-1952/5d/9f/j/o0768102414616873452.jpg?caw=800)
糸数アブチラガマは延長270メートルの鍾乳洞ですがあの1945年の沖縄戦には病院として利用され600名ほどが アメリカ軍の火炎放射器や手榴弾等で住民・医師・看護師・学生自ら命をたったところだそうです。説明していただいている間にも天井から鍾乳洞特有の水滴が落ちてきました。
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![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20191017/14/kawamurasan-1952/2f/10/j/o0768102414616873486.jpg?caw=800)
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20191017/14/kawamurasan-1952/04/83/j/o0768102414616873489.jpg?caw=800)