3月は毎年涙を流すことが多くて心が弱り気味になってしまいます。
1日は父の命日。9日は上田現ちゃんの。そして11日の大震災。
今年はあの震災から10年。
そして父と現ちゃんの旅立ちから13年。
父も現ちゃんも震災もコロナも知らずに旅立ったのだなあとよく思います。
二人がいたらどんなふうに感じただろう。現ちゃんはどんな歌を作っただろう。
最近よく父が夢に登場します。元気だった時のまんま普通通りいつも通り、
ただ家にいて母やわたしと生活してる。ほんっとうに普段通りに。
これは夢なのだと心のどこかで分かっている寂しさはまるでなく、
それゆえ懐かしささえもなく、なので目が覚めた時いまだに暫く混乱してしまって
「あ、お父さんもうこの世にいないんだった。」とわかったとたんに
とんでもなく寂しく悲しく涙がこぼれるのです。13年経った今でもそう。
父は想像力が豊かで音楽や芸術を愛した謙虚な人でした。
なのでその対極—、尊大な態度、ふんぞりかえったエラソーな様子や、
威張ったり自慢したりするのを最も嫌っていました。
だからといって決して卑屈ではなく、娘のわたしが言うのもなんですが、
そこのところの品の良さは遠慮しすぎちゃうのん?て思うくらいでした。
そんな父が病に倒れ、余命ひと月ほどと宣告された頃。
わたしは大阪の実家に戻り母と交代で付き添いのため病院に通っていました。
ベッドの横に座ってただなんでもない話をしたり、何かと手伝いをしたり。
帰るとき駐車場から父の病室を見上げるといつも父は手を振っていました。
それがもうできなくなってきた頃。ベッドに寝たきりになっていよいよもう
あと1週間くらいです、と担当医から言われた頃。
いつものように看護師さんが検温に来られた朝。
何を思ったか急に父が言ったのです。
「これわたしの娘ですねん。あの有名な曲ありますやろ、
なんやったかいな、そや、夜空ノムコウや、あれ、娘が作曲しましてん。」
、、、びっくりしました。
あの、自慢なんて絶対にしない父が。娘のわたしのこと他人に自慢してる、、、。
今これを書いていても涙が出てしまいます。あれはなんだったのでしょう。
それを話した時の父のあの柔らかい声と照れ臭そうな笑顔。今もはっきりと覚えています。
一生消えない素敵な記憶を最後に父はわたしにくれたのかもしれません。
その数日後父は天に召されたのでした。
「おとーさんがわたしのこと初めてひとに自慢した。」
このことがまた3月のわたしの涙腺を緩くするのです。
大好きやよ。お父さん。今日も想ってるよ。