桐島聡容疑者を名乗った男が死亡 | ビートニク酒場

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29日に神奈川県鎌倉市の病院に末期がんで入院し、今月25日に桐島聡容疑者を名乗った男が死亡しました。桐島容疑者は1970年代に起きた連続企業爆破事件で重要指名手配されている「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、1975年に爆発物取締罰則違反の疑いで指名手配され、50年近く逃走していました。

 

関係者に「死ぬときくらいは本名で死にたかった」などと話していたので、最後に事件について語ると思ったのですが、その前に亡くなってしまいました。

 

大きな事件を起こして被害者が出ているので桐島容疑者に同情はしませんが、一人の人が死に接して「死ぬときくらいは本名で死にたかった」という思いがどのようなものであるのが、ずっと一日考えていました。

 

朝日新聞のこの記事は、桐島容疑者が「うっちゃん」と呼ばれて、生活をしていた様子をリアルに伝えています。

1960~70年代のロックやアメリカのソウル歌手ジェームス・ブラウンが好きで、部屋には本が足元に積み上がっていたそうです。近くの飲食店では、酒を2、3杯飲むと2千円ほど払って帰っていたようです。

 

革命を夢見て事件を起こした当時、桐島容疑者は21歳。時代は移り変わり、革命などというものはすでに遠くなりました。というよりも、1975年であればすでに革命がもう時代遅れになっていたはず。その間、桐島容疑者は何を思っていたのか、推測をすることしか出来ませんが、後悔をすることもあったとは思います。人間の心理をそう簡単に考えることは出来ませんが、どこかで踏ん切りをつけて、謝罪をしてほしかったと思います。

 

「死ぬときくらいは本名で死にたかった」という気持ちがどのようなものであるのか、おそらく人間の根源的に持っている感情なのではないかと思います。善き行いをしていようが、悪行を行っていようが、人は死ぬときは、結局終わりでしかありません。何かを引き継いだり、持っていくことは出来ない。深く感じるものがあります。