“可能性”というものを言語化するとしたら、
意味のないことに真剣になれるかどうか?
だと思ってるんですよね。
小さい頃ってさ
「若いっていうのは可能性に溢れてる」
なんてよく言われたじゃないですか。
大人のほうが、いろんな経験を積んでいて
いろんなお金をかけていて、
いろんなことを学んできているんだから
お前のほうが可能性あるぞ。なんて思ったと思うけど
大人たちは口を揃えて子供たちを「可能性のかたまり」
なんて言うじゃないですか。
あれ、なんで子供たちに可能性を感じるかというと
時間があるのはもちろんだし、
これから初体験がいっぱいあるのももちろんなんだけど
意味のないことを
真剣にできるから
だと思うんだよ。
隠し通路はいつだって
意味のないところに存在するからね♡
大人になったら、
なぜか意味のあることしかしない人が増えるもんね。
「それって意味あるの?」とか言うてね、
意味のあることしかしなくなっちゃう。
小さい頃にやってた、わけのわからん遊びはさ、
べつにそれのプロになるわけじゃないし
それを上達したからと言ってプラスにはならないし
決して意味があるわけじゃないけど……
意味ないことに真剣になれない人は
意味があることにも真剣になれない人が多いんだ。
だから活躍する起業家は
子供みたいな部分が残ってる人が多いの。
意味のないことに真剣になるのだ。
意味がないことを、真剣にやることで
意味を持たせることができる。
麻雀をやってもプロになるわけじゃないけど
推理力や可能性を最大にする思考力がついたりさ
趣味をやってもお金になるわけじゃないけど
チームプレーや伝える力がついたりさ
真剣にやらなかったら、
ほんとに意味がないことも多いけれど。
意味がないことでも、真剣にやることで
それらは意味を持ちだすんだ。
つまりさ、真剣にやったら
なんでも意味を持つんだよ♡
だから「意味がない」と思うことでも
真剣にやってみることでさ
可能性なんていくらでも広がっていくと思う♡
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